宮崎駿の風立ちぬの一場面。学生時代の主人公たちが、学校近くの縄のれんで山盛りの丼飯を食べている場面です。
若いから山盛りの丼飯を食べているのではありません。三食山盛りの丼飯を食べるのが、戦前の都会の成人男子の平均的な食事量でした。
ツイートに対するネットの反応
RT @nabeteru1Q78: 宮沢賢治「雨ニモマケズ」が来るか、来るか、と思ったら最後まで来なかった。あれも一日に玄米4合とかいうとてつもない量を食べている。
たまに玄米食べますが、白米の倍くらい食べても満腹感がそれほどないです。
いくらでも食べられる気がします。
白米よりも玄米のほうが身体にもいいだろうなと本能で感じます。
RT @gryphonjapan: https://t.co/E3WyJgso2Q からのツリーまとめ / “戦前までご飯は大盛りで食べるのが普通だった – Togetter”
https://t.co/E3WyJgso2Q からのツリーまとめ / “戦前までご飯は大盛りで食べるのが普通だった – Togetter”
RT @muroktu: 宮脇俊三氏の「時刻表昭和史」でも書いてましたな。当時は副食やおやつが貧弱すぎて主食の米飯をめちゃくちゃ食べないと腹に満たすことができなかった、と。
RT @calpistime: 明治10年の西南戦争当時、田原坂の戦地の兵隊には、精米一合で作った握り飯(中に梅干しか味噌入り)を2つ、1日4回の配給となっており、1日八合の計算となっていた模様
(出典…長野浩典著「西南戦争民衆の記 大義と破壊」)
RT @ofellabuta: 杉浦日名子の江戸本に江戸町民の食事も塩分の強い漬物や佃煮等で白米を食べるのが基本という話があった。戦前の都会に限った話ではたぶんないんじゃないだろうか。
そうそう、俺も貧乏な時に経験して分かったんだけど、おかずのバリエーションが少なくなるとご飯の量が増えるんだよな。おかずが漬物だけとかだったら、1回に3合のご飯を食ったりしてた。足りない栄養素をご飯だけで補おうとするんだろうな、体が。
熊本や鹿児島の友人のところへ遊びに行ったとき、みんな丼茶碗で飯を食べていたのが印象に残っています。もちろん、如何にも華奢で小柄で文科系の女子高生も丼でした。戦前の名残? それとも九州の食文化?
昔はとにかく米でお腹がいっぱいになれば大丈夫!という考えが主流だったので、現在の老人の食生活の糖質偏重を安易に所得のせいにはできんと思うのだ。糖質ばかりの食事でも高齢者にとっては「私は三食きちんと満足に摂れている」と思っている場合は結構あると思う。
男子でもご飯を食べる量が減ってきたのは、ここ最近(多分10年~20年くらい)じゃないかなぁ。パン食が増えたり、おかずがバラエティに富んで、かつボリュームがあるものになったり、健康のためのバランスを考えたりかな?
TORU MIYANO|宮野徹|62週連続リリースセット完了|2017.6.14~2018.8.15@ToruMiyano
RT @_Osahiro: 祖父の代は山仕事の時は一日に一升五合食ってたと聞いている。夜明け前、朝方、昼と五合ずつ。あなたの家に古い小さなおひつがあったら、それはお祖父さんか曽祖父さんの弁当箱だったかもしれない。
祖父の代は山仕事の時は一日に一升五合食ってたと聞いている。夜明け前、朝方、昼と五合ずつ。あなたの家に古い小さなおひつがあったら、それはお祖父さんか曽祖父さんの弁当箱だったかもしれない。
RT @sn_fleck: ここから続く連ツイが面白い。コメをたくさん食べる話はいろいろなメディアで読んできたが、その「お供」については考えたことがなかったよ。
RT @gryphonjapan: ツリー先頭にブクマ / “近代食文化研究会さんのツイート: “宮崎駿の風立ちぬの一場面。学生時代の主人公たちが、学校近くの縄のれんで山盛りの丼飯を食べている場面です。 若いから山盛りの丼飯を食べている”
ツリー先頭にブクマ / “近代食文化研究会さんのツイート: “宮崎駿の風立ちぬの一場面。学生時代の主人公たちが、学校近くの縄のれんで山盛りの丼飯を食べている場面です。 若いから山盛りの丼飯を食べている”
この後続く一連の流れ、個人的にめちゃくちゃ興味深いです。
炭水化物ダイエットとか言われる中、ハラハラしながら丼でパクパク米を食べている身としても。米の美味しさとコスパに抗えない…
考えてみれば全国津々浦々で新鮮な肉魚生野菜が食べられるのも最近のことだろうしな。保存の効く米と漬物に偏っていた理由の一端になりそう / “近代食文化研究会さんのツイート: “宮崎駿の風立ち…” https://t.co/oGKyrwlEhZ #twitter #食 #文化 #歴史
RT @cynanyc: エネルギーの9割を穀物から摂取していた時代。漬物、佃煮、干物…おかずはどれも塩辛く、保存が効く上にご飯がススんだ。
よく祖母が「いくら炊いてもカラッポになった」と言ってました。家の天井には遺影がずらりと並んでいた。学校の校長室にある歴代の校長たちみたいな感じで。
物流と交通網が現代より格段に劣るからだよね、コレ。駅やバス停が少ないからとにかく歩く。エレベーターも少ないしエスカレーターないから階段上り下り当り前。宅配もほぼ無いから、会社の文房具等備品を買うにしろ郵便に任せない類の仕事のあらゆる書類を持ち運びするにしろ、かなりの運動量になる。
佐藤健志(Writer/Critic)@kenjisato1966
RT @zidaiokure_21th: やはり、おかずが少ないからご飯をたくさん食べるわけか。戦前に活躍した映画女優の高杉早苗が当時の映画雑誌(1937年頃)で、食事しているところをインタビューされているのだが、冷奴をおかずにご飯3杯を平らげたと書いてあった。 https:/…
やはり、おかずが少ないからご飯をたくさん食べるわけか。戦前に活躍した映画女優の高杉早苗が当時の映画雑誌(1937年頃)で、食事しているところをインタビューされているのだが、冷奴をおかずにご飯3杯を平らげたと書いてあった。
宮脇俊三氏の「時刻表昭和史」でも書いてましたな。当時は副食やおやつが貧弱すぎて主食の米飯をめちゃくちゃ食べないと腹に満たすことができなかった、と。
この一連のスレッドな面白い。あと、今の漬物は味が薄くなったよね。母も減塩するのにかなり苦労していて、とくに漬物は塩を強くすることでもたせるので、たくあんとか悪くなりやすくなって、塩梅にあーだこーだやってたの覚えてる。