ツイートに対するネットの反応
工藤直子さん。一回だけ、まだ小さい時にサイン会でお会いした。
「私はひらがなが好きなんだけど、あなたの名前はこの漢字にきっと意味があるんだと思うの だから漢字で書くわね」そう言って書いてくださった為書ありのサイン。もじもじしてまともに喋れなかったけど、30年経ってもはっきり覚えてる。
私、詩が苦手っつーか、嫌い。小学生の時「詩」の授業があって、書けども書けども先生から突っ返された。感性を育てる授業じゃないの?どんな素敵な「詩」であっても、ふーんとしか思わなくなった。
私は本谷有希子さんの「生きてるだけで、愛」(新潮文庫)の主人公のせりふ、
「あんたは私と別れられて、いいなぁ・・・」が1番好きですが、これもまた良き。
昔、『置かれた場所で咲きなさい』という本が話題になったが、言ってることは同じかな。
至極最もな事なんだけど、これが難しい。
前段の諦めまでは誰でも出来る。
でも、後段の自分を諦めつつ花を咲かすのは、諦めずに咲くことを夢みるより遙かに難しい。
人生から出ていけないなら、どうやって花を張達するんだ🤔?
誰かが持っていてくれるのを待つのか?
そんな人まかせな幸せは好かん。
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性格悪いことをいう
ミニマリストっぽい詩で心に沁みます。手入れをする余裕がなくて、鉢植えの花はすべて枯れてしまったのだけど、来年は花を育てたい。鉢植えのないところでも。
詩ってのは
その時の気持ち、思想、感性で
響いたり、響かなかったりする
この詩はサンプルで素晴らしい
読み手の自由な思想を
まったく束縛しない
自然自然と…日本の「自然」と西洋の「自然」の言葉の概念は違う。
日本は「あるがまま」つまり、野生としての「自然」。
西洋は、文化、人工に対しての「自然」。
オーガニック系や自然に優しい生活…を意識すると、そのあり方にも違いが出てくる。
日本やある一定の人々の傾向としては、野生に
花を植えるのは他ならない自分自身。そのとき協力者を得られるかはそれまでの行動の積み重ねの結果。
きれいな花を咲かせるには泥にまみれた作業も要る。
誰かが花を植えて育ててくれて、自分はそれを見る…なんてうまい話は無い。