『作品に罪はない』というのはもちろん分かるし大切なんだけど、『作品に罪はないが俺の金があいつの懐に入るのは絶対にイヤ』というのもまた成立するわけですよ。で、これは作者・作家が自身の手で情報発信するようになってどんどん加速するよねという。
ツイートに対するネットの反応
『作品に罪はない』からこそ、作っておいて、出せなくなっちゃうような真似すんなって話で、要は製作側の話なんだよ。
別にお金要らないならいいけどさ、作品を商業モノとして成立させたいなら、そこは認識してなきゃいけない。
ただ作品ではなくて、商業作品にリスク管理は必須だよ。
まさにこれに当てはまるもの幾つかある
例を挙げるとフォロワーには申し訳ないけど、某バンドのコラボソングにモヤモヤするようになった
某煙突の映画の作者の訝しいビジネスで、主題歌だけとはいえコラボ相手が関わってると思うと、コラボ曲は映画と一切関係無くとも何だか良い思いはしない
「作者と作品は別」
それは確かにそうなんだけども
「それはそれ、これはこれ」というモノですよね
作者のイメージで作品にケチが付かないよう
振る舞いには気を付けないとね
購入すると言う行為はその売り手の思想に賛同するという背景を含んでいる。
例えばいくら安価に質の高いものが手に入るからと従業員を不法にこき使っている会社のものは買わない、環境に優しく無い製造工程のものは買わない等はよく聞く話かもしれない。
お金は投票券とも考えられる。
どっちの気持ちも持ってる
前者は小林よしのりの『卑怯者の島』
作者は嫌いだがコレは好き
後者はカサハラテツローの『アトム ザ・ビギニング』ラブライブみかんの一件以来受け付けなくなった https://t.co/dj5j3Sy4wF
これ、すごくわかるなあ。面白く読んだとしても、そのお金で作家が何をしているかを知ったら「2度と買わない」と思ってしまう人はいる。
大体は、私が作品に惹かれる作家さんは、本人の考え方にも共感する事が多いのだけど。
コレは逆に、あの作家だから買おうにも作用する。
で、嫌いだから買わないより、好きだから買おうの方が強い。
芸は人なり、って言葉があるけれど。
最後は作品ではなくその作者自身のファンにさせた方が、長く深く愛されるから。
Midori Harada/Deutschland@aireverte
某bot、管理人がアレな人だと自覚して運用してます…実際展覧会とかに来るのは、違う思想であることを受け入れてくれる人や好意的な人が多いのでむしろ驚く。ていうかbotは「作者が嫌いだけど無理して応援する」というほどのコンテンツではない気もする。
こういうのわかる。僕が作品としては良くとも、売り方が汚いコンテンツ等に金出したくなくなるのと同じようなものだよねきっと。作者についてはあまりにも悪い人だったら、どんなに素敵な作品でも全然見たくなくなる💦視界に入ってくんなってなる💦