ツイートに対するネットの反応
とても良い。
疑問の出発点がとても面白いし、
それに対する回答がわかりやすく書いてある。
エセ科学を信じてる全人類に100回音読してほしい。
宗教は元は勉学の一種
カルタなど遊戯、絵本などで勉強するためのものであり、昔の仏教などは医療知識などがあり重宝されていた。
世論などはその点実際、身の回りの生活に使われる要素が無く、自分の意見を言っているだけ。
思考の自由ではあるが、それが人に納得されるかは別である。
ド文系なワシだが、科学は「分からない」ことを少しでも「分かる」に近づけることであるが、それは完全に「分かる」状態になるわけではないと思っている。
逆に言うと、「可能性」ではなく「断定」に基づいて科学的な話をする人間は信用すべきでは無いということである。
ネットの胡散臭いCMでも「科学的に証明された」「〇〇大学で研究された」とよく言っている。
ワイドショーで論理的に破綻している自説を声高に唱える人達は、なぜ追放されないのか疑問だった。
たとえ内容は空っぽでも、断定口調そのものに安心する人が一定数いるからなのかもしれないと思った。
科学は探究する事、宗教は探求する事なんだと思っていますが、どちらも大切なのは考える事で、考えを止め思考停止してしまうと偽科学やエセ宗教に傾倒してしまうのかもしれません。
「絶対儲かる!」は信用しない人多いのに。
銀行マンが言う「為替変動の影響がない低リスクなものを持ってきました。勿論リスクはありますが今のところ右肩上がりです」ていう方を信じるのにね
なんでも宣伝サイト『世界の逸品・おすすめサイト』(中の人はヤカン)@OPYjRdzvsd6sRVk
なるほど・・・。
人や宇宙の起源が『科学的』にも『宗教的』に、どちらにでも解釈できるのと似てる?のかな??
(まあ人や宇宙の起源が『科学的』に解明されても居ないが・・・。)
ともかく物事の真実ってやつは、受け取る側の人間によっても如何様にも変わってしまう物だと思う。
相対性理論かて最新の理論と微妙にズレてるし、科学者は「現状他の理論との矛盾がなく極めて確からしい」理論を「使っている」だけだから。
イスラームの指導者でさえ豚由来成分のある風疹ワクチンを「豚より人命」と許容してるんだから。反ワクチンは現代の宗教より宗教的。要は狂信者の集まりよ。
これは 敢えて紹介したい
【信じるのが 宗教】
【疑うのが 科学】(曖昧さの許容=常に追及する余地を認識している)
解説されている前半は 非常に重要な話
ところが後半「余談」と断った上で 同じ枠内に異なる話術が混入される
ここで信仰するか追及するかが 筆者の意図を読み解く鍵となる
『「科学的に正しい」「科学的に証明されている」ことなんてほとんどなく、そのフレーズを使うのは科学のことをよくわかっていない人か詐欺師かのどちらかでしょう』
「科学を信仰する」という表現は言い得て妙で、一般的に正しい科学すらも(もち私を含む)大多数の人がその理屈を理解していないので、深い知識をもって科学を確証している訳ではなく、科学という概念を信仰しているだけと言って十分差し支えない。
これはよく読んでほしい。
僕も気を付けないといけない事だけども、言い切るのは正直無理なんよね。
シューズ、用具選びも『これが絶対に良い!』は無くて、比較的多くの日本人の学生に合いやすい(でも一部は除くし、なんならその一部の方が多い)とか、ほんとはそんな言い回しになる。
導入はいいんだけど、着地点が科学専門家を妄信してしまってちぐはぐだと思う文章……結局のところ陰謀論の中にも真実はあるし、誠実であるべき科学側の人間が意図せずにしろワザとにしろ大衆を裏切っている場合も往々にしてある。
絶対はない、断言してはいけない、だからどうしても曖昧さが残る表現になってしまう というのが疑うことが大切な科学の宿命か…強く推奨するけど、わずかでもリスクがあれば言わなくちゃいけないとか。
逆を言うと、その僅かなリスクを大きく言うのが攻撃手段となるってことだな。針小棒大。
主旨の話ではないんだけど、これちょっと正確ではなくて、
「科学的に正しい」
というのはそもそもとして、
「現在判明している様々な事実や論理(科学という手順)に基づき極めて高い確度で正しいとされる」
という意味なので、常に間違っている可能性、すなわち反証可能性を持つということなんよ
多くの人にとって「研究」は、「勉強のもっと凄いやつ」ってイメージだからね。その「勉強」というのは「正解を覚えること」だと信じられているから、結果として「研究とはものすごい正解を提供してくれるもの」ってイメージになってると思う。
ぼたまる雪@雪女系V(旧:牡丹)@botamaru_yuki
素敵な指摘です✨
断言する人は自信や根拠があるように見えたり、専門家以外の人が声高に医学的な根拠のないことを叫んでも罰せられなかったり…非対称性がいびつだなと感じます(´・ω・`)
Hi-Ten Driver@UGS25DW@HiTenDriver
とてもわかりやすいしピンとくる。
自然科学にしろ、社会科学にしろ、人文科学にしろ言えることやね。
きちんと客観的データ(事実)をとって、そこから更に客観的視点で読み取り結論を導き出しても、それはあくまで観測可能な範囲内の推論。
という誠実な不確実さの表現を、不誠実な断言で消さないで
私も科学者の端くれだけども
これはホントにそう
ユーザーは断定されているモノを好むし、営業や広報はマジョリティに合わせて断定形でコンテンツを出さざるを得ない
大事なのは
実証データを集め、大体これが正しそうだな?
って仮定を作り
それを自分で試して仮説を検証すること
何事においてもね
多分ここで言われてる「宗教」「信仰」は原理主義過激派や反社会的カルトのような態度を指しているのだろうけど、科学や反科学についても過激な態度・排外的な考えが蔓延してるのかなと心配してる
清澄 狐鴉@同人音声書きはじめました@Seichou_Cogaras
いい記事ですね。
人はどうしても『絶対的な安心感』を求めてしまうもの。
けれど、科学に限らずそんなものはほとんどないんですよね。
鼻息荒く『それは違う!』と言い、自己の有能さを解く自称科学者は多くいるのが、なんだかなーって感じます。
とてもいい文章、成る程なと。私は科学や医療に関して全くの門外漢だが、曖昧で不確かな事象を断言されることに常々強い違和感を覚えてしまう。ソースを提示できないために”誠実に述べる”ことは難しいことが多いハズなのに、不確実なものは不確実なのだと”正直に”伝えることは受容されづらいのだなぁ。