考えたことなかったが、1835年、ドイツの人が銀をガラス面に定着させるまでは鏡が普及しておらずほとんどの人は自分の顔を細部までまじまじと見ずに日々を過ごしており、1835年以前と以後で「私」への見方がけっこうちがってくるはずで、これからは小説読むとき1835年以前か以後かを気にしていこう
ツイートに対するネットの反応
しんじ@理科実験あそびプロジェクト復興のためお仕事承り中@oekakimaestro
それ以前にも鏡自体は古代からあるにはあったが、平らに磨いた青銅の鋳物に直接柄や枠を取り付け、場合によっては水銀アマルガムで金や銀のメッキを施した重くて高価なものが長らく主流で、作るのもメンテするのも職人技の世界だった。 https://t.co/mEiDC1trup
これは鏡の「発明」ではなく技術革新の話なので、それまで一般人が鏡を使ったことがなかったというのはさすがに無理があると思う。ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」も17世紀には出来てるし、古代ギリシャではアルキメデスが鏡使った巨大兵器作ってたし、水鏡もあったわけだし。
鏡はあったけど今のそれとは違ってて、すぐ曇るしめっちゃ磨かなアカンってのは何かで聞いた気がする
ただその辺の平民でも気軽に所有できるものだったのかは不明だけど
岡安モフモフ(アーガイル社長)@Clubhouseやってます/SNSマーケで12年目@shields_pikes
多くの人が、手桶などに張った水鏡で顔を見ていた時代ですね。
あと、デジカメや携帯で自撮りが当たり前に出来るようになった2001年以降も自意識の変化に影響がありそう。
日本の三種の神器にある鏡は、天の岩戸に隠れたアマテラスが岩戸の外の宴会が気になりチョロっと顔を出した時に鏡が反射して
え?
何?
アタシの他にも光る人がいるの?!
と騙くらかすために作られたとか。
マジレスすると、これは間違い。
青銅や真鍮使った鏡はあったし銀鏡の前からガラス面に水銀アマルガムで反射面をつけたガラス鏡もあった。
問題は金属よりもガラスで、平面のガラスを作るのが大変だった。
銀鏡反応は価格や生産量より脱水銀の意味が大きい。
架空詭弁学者 K.F.Loeffler@LoefflerKarl
鏡の普及以前・以後の自己認識の違いという主題は興味深いですが、ガラスを用いた鏡ということなら錫を用いたものは13c頃に登場していますし、単純な金属鏡であれば銅鏡や錫鏡がより古い時代に現れています。日本でも17c(江戸期)には庶民向けの錫鏡が量産。そして、水鏡なら先史時代。
1835年はドイツの鉄道開業年(アドラー号)、ナポレオンの戦争時代が開けておよそ20年、高度経済成長の如く産業革命が興っていた時代。日本は天保の飢饉が開け、北斎などの浮世絵が勃興した時代。汽車も鏡も浮世絵も、技術から社会さらに人間の内面までの繋がっているのを見ると中々面白い。
スワン@著書「あなたの24時間はどこへ消えるのか」発売中@shiratoriyurie
ビジュアルの自己認識がない状態で今まで生きていたらどのように「自分」を認識していたのかすごく気になる。もっと抽象化された存在で、コンプレックスの矛先も行動がメインで変に自信持てたりするのかな(笑)
異世界転生したら鏡を売って生計を立てる事にした。(蒸留酒を晒し粉で酸化してアルデヒドを作って、硝石と明礬から硝酸作って、あとは銀と砂糖は普通に買う)
なるほど
「自分がイケメンなのかブッサイクなのか問題」について
自分の意見が一切なくて、他人が言っているからxxらしい…で終わっていた時代があったわけなんだね。
ひょっとしたら、その方が幸福度高いかもだし、携帯電話とか発明されないほうが自分的に都合のいいシーンって多々あるわぁ。
高橋けんじ(髪の毛の色がほぼ宇崎ちゃんなので遊びたい)@Q47SM9
こういう客観視の技術って、写真・テレビ・ビデオ・デジカメ・スマホという普及の中で、各段階で絵にも大きな影響出ているんよなー。大友克洋さんなんか高速度写真普及前だったら、読む側に理解されなかった可能性あると思う。(特に『童夢』の拳銃でガラス割るシーンとかね)