ツイートに対するネットの反応
日々報道されてる、新規感染者や重症者、死亡した方の「〇〇名」という数字の裏には、それぞれの人生や家族、ドラマがある訳で。いずれ自分も、その数字の構成要素になるかもしれない。統計的な数字は現実感を薄れさせるけど、命をただの数字と思ってはいけない。
お悔やみ申し上げます。…よい供養の仕方だと思います。顔も見れない、葬式も出来ないならと思いつくのがすごいです。色々考えることができました。
実は私の祖父もつい先日、同じように亡くなったのです。
コロナにかかった事、施設でクラスターが発生した事、分かってから2日で亡くなった事。
とても他人事には思えなかったです。唯一、私の家族は最期の瞬間に画面越しでしたが会うことが出来ました。これがコロナなんです…。
コロナは色んなところで、色んな気持ちを踏み躙ってくる。
ワシの爺さんも去年の12月に亡くなったけど、結局葬式には帰れなかった。
死に目に会えない、別れの会ができないってのは結構後から来るもんだから、今生きてるうちに色んな手段で繋がりがあった方がいいと思う。
コロナってほんとに嫌なもんやわ。
私もおじいちゃん死んだ時火葬場まで行けるかわからなんだし。人数制限あるから。
おじいちゃんに会いたかった。もうすぐ49日
会わせられなくてごめんなさい…
納体袋に入れさせてもらう前に沢山沢山、「頑張ったね。」って声掛けさせてもらってます。本当はご家族に会いたいだろうに、私でごめんなさいって思いながら。
亡くなった全ての方が、誰かの心の中で生き続けて欲しい…私も忘れないから。
コロナは風邪だ!と仰ってる方に見てもらいたい…
状況どうにかしないとこんな死を遂げます…ほんとに風邪だと説明してこういうことを無くして欲しい
コロナで亡くなられた方とそのご家族の苦しみははかり知れない。お顔も見れず、次に会う時はお骨になっている。どんなに元気だった人でも。
面会の機会を提供するのもたくさんのしがらみがある。早くコロナが収束すれば、あるいは普通の感染症として扱える日が来ればと願うしかできない。
古めかしくて豪奢な葬式をする必要はないと考えてるけど、
区切りをつけることも出来ないのは寂しいなとは思う
ぼくの親戚がコロナ流行り出す直前の冬に亡くなってるんだけど、
遺族としてはむしろコロナ流行る前に葬式が出来て良かったのかもしれないね
御冥福をお祈りします。
その人にしか出来ない、あるいはその人だからこそ出来るやり方もあるように思います。
少なくともこれはとても良いやり方だなと思いました。
うちとおんなじだなあと思い。
あの日はなんと言っていいのかわからなくなった。高齢者が亡くなるのは寿命だし、まして肺炎で亡くなる人は山ほどいるんだけど新型コロナってだけで悲しみとは別の場所に言葉が詰まったことを思い出した。
週刊少年ジャンプでは同業者が亡くなると扉絵の縁を黒く塗り潰して哀悼の意を示すって慣例みたいなのがあったよね確か(記憶違いだったらごめんなさい)
どの業界でも、形は違えど葬送の在り方はあるんだなあ
これに似た話が先日あったのですが、ほんとに会えません。「この人に会いたい」と誰かに思ったなら、自分の身辺でのコロナ感染リスクは出来うる限りで減らした方がよい。お互いに元気な内にその人に会うためにも。
お悔やみ申し上げます。
漫画にしていただいたことでコロナで亡くなることについて知ることができ、またこれまでにコロナで亡くなった方々へのご冥福を改めて祈ることができました。ありがとうございます。
おじいさまとおばあさまが再会できていますように。
うちの祖父母も従兄弟同士なのだが、どちらの家も東京に出て元々親戚づきあいが薄かったので存在忘れたのが、同郷の人の紹介で見合いして話してみたら従兄弟同士なのが判明したという面白エピソード。
コロナをただの風邪やとか言ってるやつはこれを見てくれ。確かにただの風邪なのかもしれない。しかし世間、というより国はそうは見てない。だから気をつけろ