人助けをする場合は、「人は、全く手を差し伸べない人よりも、差し伸べた手が不十分である人に対して怒りを向ける」ということはよくよく覚悟しないといけない。
ツイートに対するネットの反応
人を率いていくほどのものならば、常に考慮しておくべきことのひとつは、人の恨みは悪行からだけでなく善行からも生まれるということである。
とも言うしな。
震災のときに避難所におにぎりばかりが届くとか古着ばかりが届くことに対してそういうバッシングがあったよね。満足に助けられないなら助けない方がいいのかも。
良いか悪いかはおいといて超絶日本的な考え方だな。おれは広く浅くたまには深くって感じで人助けしていきたいし浅くても助けられたらめちゃくちゃ感謝する。
千尋がちょっとした人助け(人じゃないけど)のつもりで手伝ってあげた時に釜ジィにかけられた「手を出すなら終いまでやれ」を思い出す https://t.co/QxlKawUJoI
マジでこれやぞ。中途半端に人助けなんかしちゃいけねえ。なんもしてない人間なんかよりバチクソに執着されるし依存されるし期待されるし茨の道が待っとるんやで。生半可な覚悟で人なんか助けちゃいけねえ。
ツリーでも触れられている通り、
アレの面でも、ひとたび手を差し伸べたらば…というのは実態としてあり、
そうなったとして自分の事を誰も助けてくれないのは前提として肚を決めて行動せねばならないのはあるんですよね。
死ぬほど胸糞が悪い例を結構な数見聞きも経験もしてきたのはありますあります
最近よく思います。
助けたい気持ちがあっても、こちら側にいろんな余裕が無いと最後まで対応できない為余裕がない時はしない、と中途半端な優しさは出さないようにしてます。
それに感謝される事を前提にしない事も大事ですね。
怒りを向けられた時に自分が消化できずに傷になるなら自分がしんどい。
新人指導と重ねてしまう。不十分な教育で怒りをかわないようにしなければ。我が子と思うようにしてるけど、可愛がっても成長につながらないと指導者として何の意味も価値もないからなー。でも好かれたいという欲が…
差しのべる方も往々にして「差しのべてやっている優しい私」に浸っている事があるのだから、見返りを求めず深くどこまでもなんて覚悟は鼻から出来ないのでたくさん見捨ててまいりましたことよ。
まぁ、世の中には精霊の守り人みたいな話はごろごろしてますからな。引ったくり阻止して怒られる。襲われてるの阻止したら被害者に殴られる。刺されそうになってるの阻止して怯えられて逃げられた末警察官に投げられてて誤認逮捕されるとか普通にあるから見返りを求めな自己満足の偽善ぐらいが丁度いい
ああこれ分かりみ深し。手を差し伸べられることが当たり前になってきたり、こっちが負担になってきてギブアップしたら縁切られたりいろいろありましたね。縁切られた後に資格試験ぽこぽこ合格したのでどれだけエネルギー持っていかれてたのかと。覚悟してなかった私も悪かったですけどね…。
分からなくは無いけど、助ける側が馬鹿を見る世界は嫌だな。
これだと助ける人が減ってしまって、結局助かるはずの人が助からなくなるのではないだろうか?
いじめに会った生徒がいじめた生徒よりも
当時見てみぬふりしてその後うちのクラスはいじめありませんでしたて同窓会で言った他の生徒を恨んでる
てネタに似てる気もする
sato_mikage (not bot)🇬🇧🇲🇽🇪🇸🇨🇿@sato_mikage
三島由紀夫は「傷ついた者が助けを求める時 必ずしもその包帯が清潔であることにはこだわらない」と言うような事を言ってるけどね 何でも相対的に見た方がいいね人付き合いなんて 流行り言葉で一概に表せるものじゃないし でも諺も侮れないのは一理あるし時代を捉えてるんだよね😪💤
手を差し伸べたことはある意味、目印になるということ。だから、的になるのはいたしかたない。しかし、ここで大切なのは自分は全能ではないと思い出すことだろう。怒りを向けられても、何か差し出した人であるのは事実なのだ。
助ける側の覚悟、よくわかりますが…それが本能的にそうだとしても、自分が助けられる側になった時、そんな風にならないよう心がけておきたいな、と思いました。
⬇️ソノ通り❗️♡
凄い的を得ている言葉だね☆
親切という字は親を切ると書く
人に善い行いをする時はそれ位の覚悟を持ってしなさい
と言う意味らしいからね
中途半端に優しくなれない人に対して優しい行為をしない事❗️
自分が居心地が好い人優しくしたい人優しい気持ちになれる人に優しくすればいい❗️♡
弊社の社風。私の業務でも何でも無いのに、困ってるだろうからと好意で、時間と労力を割いて一生懸命貢献してあげた挙句に、完璧な出来じゃ無いと叩かれまくった苦い経験。責任者はカティエさんでしょうと。はい? ジョブデスクリプションのない会社アルアルなの?
完全にこれだわ。おカネをとって、待たせて、それでただ理想論だけを振りかざして来たことにとても腹が立っている。
引き上げてもらおうとエネルギーを奮い起こして手を掲げたら、手の代わりにプリンを渡されたような気分。
良かれと思って、見るに見かねてやってあげたことが、いつの間にかやってもらうことが当たり前になって「やって当然」みたいな態度取られた経験をしてからは、自分が苦しまないように生きてる。
自分の身を全て削った時、いったい幾つの人が守れる?
その器が大きすぎる者達は、ヒーローと崇め奉られたり、やっぱりその器以上のモノを背負わされるんだ。