ツイートに対するネットの反応
カメちゃん(富士山の山小屋勤務中!)@kamechan1988
書き手がどう感じとったかで、インタビュー記事は変わる。タイトルも時間をかけて考えているはず。だから、前職の先輩方はいつも悩みながら書いていた。どちらかが間違っているのではなく、どちらも真実を聞き出した大切な話。そして、読み手によっても印象が変わるもの。それでいいと思う。
彼はそもそも裏と表で勢力争いしている茶道の最大流派の家元でなるべく露出したいだろうし、一期一会の精神で相手に合わせて話し方を変えていると思う。
京都新聞
「みな死んでしまったから私がしゃべらざるを得ない。次の世代に和の哲学、和の思想を認識してもらうため、戦友が生かしてくれた。そう思います」
https://t.co/YJdB9WXZ67
産経新聞
「彼らの犠牲があって、今があることを忘れてはいけない」
https://t.co/1H4SlaPJvg
わしのTLでもこのネタで右の人と左の人と共に自分の都合の良い切り口でしか読んでなくて嗤った(社会的地位の高い人でさえ)
そりゃ戦争も無くならならんわ
「過去を正しく知り、未来に継承することが、今を生きる人の責務」と考えた結果が、日本会議の代表委員になることとは..
一片の言葉を鵜呑みにしてはいけない、と思う
この方のお話で、飛ぶ前日、崖っぷちで皆で日本の方角を向いて「怖いよー」「死にたくないよー」「お母さん助けてー」と声を限りに叫んだという話は泣けた。
「印象操作」なんだろうけど、どちらが当人に取っての本意に近いのだろう?
私の祖母は終戦当時20才で想い人を特攻で亡くし「無駄死にさせられた」と常日頃嘆いていたが、地方紙にインタビューが載った時には「想い人はお国のために命を捧げた」と書かれていた。
きれいごとしか語れないのか?
サクラソウ*ハクロホウ*コンデンエイネンシザイホウ@saitama_shimin
学生時代、社会科の先生が「特攻隊に志願して、お国のために、って意気込んでた。明日自分の番という時に終戦。終戦後は価値観が一転して、抜け殻になっていた時キリスト教に出会い帰依した」と話してました。
子供心に、純粋な人なんだなぁと思った。。。
印象操作の話をされている方もいるが、或いは御本人の中で複雑に絡み合っている思いのどれを読み取ったのか、という考え方もあるように思う
印象操作をしてるのは自分の脳味噌、という可能性も併せて考えたい
見出しもひどいが記事の内容も全く逆になっている。98歳のご老人の言葉なんだから、新聞は脚色を入れずそのまま伝えてほしい。
死にゆく人の後世に残す言葉を愚弄しないでほしいです。
sanatanayamangalam@sanatanayamang1
京都新聞が取材したものを産経新聞にも流したんだろうなぁ。
産経新聞の紙面の制限文字数に合わせて切り取ってあるけど、記事の要点はあらかた合ってるので、平和への戦争体験記事をシェア拡散したという意味ではこのくらいの変更ならまあいいんじゃないでしょうか。
一連のツイート拝読しました。新聞間で記事のテイストが違うことに否定的なリプもありますが、これは性質上仕方ないかと。新聞もテレビ報道もあくまで他者の目を通した情報です。もちろん、自分を確りもってないと流されてしまいます。
本文にない言葉を見出しに使う産経新聞
「」で書かれたこれは千玄室さんの言葉なのか?
少なくとも京都新聞の記事からは千さんの主意とはズレた表現だと思う
「なんであんな無駄な戦争をしたのか?」は戦後共産主義者の常套句。あの戦争は共産主義に傾倒した反皇室藤原家近衛文麿とコミンテルン系共産スパイが日華事変に予算をつけたことから起こったことを隠蔽する為に必死にデマをばらまいてる図。
朝日筆頭にお前らが今日も元気なのはその「無駄な戦争」のおかげやぞ無駄じゃないやろ、って思う
失敗が無駄だと感じる人間は何も学ばない人間なんだよ
この違いを持って「偏向」といった批判をする人もいるけど…
たとえ全文掲載であっても「見出し」や「タイトル」異なって当然だし、メディアの特性の違いも踏まえて受け取るのが、読者の役割だと思うのよね。
「〇〇新聞は正しい」ではなく、「〇〇新聞はこのテイストで好み/苦手」という感覚が必要