落合陽一さんがzeroで
「自分が何を美しいと思うかを発信するのがアートの役割。自分がかっこいいと思っていることがかっこいい。他人の顔色を伺っているやつが一番かっこ悪い。自分がカッコ悪いと思うことをしないことが大切。それを突き詰めれば佇まいは美しくなる。」
夜中なのに、目が覚めた。
ツイートに対するネットの反応
「他人の顔色を伺っているのはカッコ悪い 自分がカッコ悪いと思う事はしない」はもっと批判的に考えたら?と思う。
他人の顔色も伺えないような非常識な奴の尻ぬぐいさせられる側に想像も及ばない奴の事を。
『自分がカッコ悪いと思うことをしないことが大切。それを突き詰めれば佇まいは美しくなる。』ヤバすぎて逆にかっこいいってこういうことなのかな。自分が尊いと思うことを形にできたら人生やった感がぐんと増しそう。
ほんとにそうだなぁ…
●「自分が何を美しいと思うか」を発信するのがアートの役割
●他人の顔色をうかがっている奴が一番かっこ悪い
今日も私は美術館の作品の前で、
誰かに評価されてそこにある作品を
自分のことばでとらえなおすよ!
その行動、現象もアート
いつもこたえをどこかに探してた
あたりを見渡せばこたえが隠れてるんじゃないかって。
でもほんとうは
自分の中にこたえがあるんだね。
自分の中のこたえをもっと大切にしていこう!
「誰が」×「どう感じるか」×「それがどう見えるか」=「無限のこたえ」
また一つ自分の中の世界が広がったようだ
ものづくりをする方や美術関係の方は、こういうことが日常的にわかっているんじゃないかな。
自分の中にある、心がふるえるとか琴線に響くとかの感覚。経験。それらの求めるもの。
自分の好き・美しいと感じることを知るのって大切。
大人も子どもも。
落合陽一さんも前澤友作さんもかっこいいな。世の中格好良い大人って結構いるんだなと最近思う。
稼いでるからとかじゃなくて、芯とか軸を持ってるのがすごく格好良い。
岡村拓朗@組織開発・人材育成コンサルタント@okamyura
自分をぶち抜いている落合陽一さんは、顔が疲れてても、雪駄を履いても、やっぱりカッケー。それはやっぱり貫くより、ぶち抜いているからだろうな、と思う、
#落合陽一
要するに、“これって他人から見るとカッコ悪いんだなあ”ってのもカッコ悪いし、
“これって他人から見ればカッコいいんだろうな!”ってのもカッコ悪いってぉとだ
見てなかったけど、これって哲学なのかなあって。いま落合さんの本読んでて言葉の再定義のこと問題にしてたから哲学もそうなんだけど笑 みんな他人のことは気にせずに自分のものさしで生きれたらいいのに
まずは、自分を知ることから。。。
「自分がかっこいいと思っていることがかっこいい。他人の顔色を伺っているやつが一番かっこ悪い。自分がカッコ悪いと思うことをしないことが大切。」
この言葉、昔の自分だわ…昔はこうだった。間違ってないしカッコイイ。
今は…致し方ないけれど、周りに気を遣って嘘をつき続けて過ごしている。カッコ悪い。ただ自分の気持ちは出さない方がきっと平和だからさ…裏方はわかりやすく出してはいけない、押し殺してナンボ。それを制作力に注ぐしかない。