大学時代にゼミの一つ上の代で「ピーマンの肉詰め」は「ピーマン」に「肉」が詰まっているが「ピーマンの袋詰め」は「ピーマン」が「袋」に詰まっているのはなぜか、という課題が出たらしく(結論は出せていませんが…)
どこかこれと似ているような気がしました https://t.co/IkYsZif6EU
ツイートに対するネットの反応
岡田英弘先生が「先」と言う言葉がある時点を基準に以降(未来)を指す場合と以前(過去)を指す場合があると言うようなことを書いてたなあ。
未来:先々の計画、時代の先を行く等
過去:先の帝、先の副将軍、先史時代等
いかんなゲシュタルト崩壊してきたぞ。w
英語でsleeping babyは赤ちゃんが眠ってるけどsleeping carは寝台車で車両が眠ってるわけではないって言うのを思い出した
関係あるかは知らんけど
「ピーマンの袋詰め」は、袋に詰める“ 行為 ”を指しているのであって、物質としてのピーマンや袋を指しているのではない(……というのはチョッと強引かな ww )
f(^_^)
うちの母は学生時代に名古屋に来るまで「たこ焼き」を知らなくて、イカ焼きみたいに丸ごと焼いた物だと思っていたらしく、みんなで食べに行こうとなったときに3個とか4個とか話しているもんだから「どんだけ食べさせられるんだろう」とめちゃくちゃビビっていたらしい。
大学の言語系の授業で友人が「避(さ)ける」と「避(よ)ける」の違いについてレポート書いてたの思い出した (日本語学か第二言語習得かそんな感じの授業)。
「雨を避ける」は、「さける」だと雨宿りだけど「よける」だとどこの超人だよということになる、とかなんとか。
「の」を省略して、ピーマン肉詰め、肉詰めピーマン、ピーマン袋詰め、袋詰めピーマン、の4通りで考えてみると、既に「の」を含めて名詞化しているからなのかなぁ、と。
肉は、肉「に」詰めることが想定されてないので、ピーマン(に)肉(を)詰め(られる)という省略が成り立つ。逆に袋は、それ「に」詰めることしか想定されないので、ピーマン(を)袋(に)詰め(る)省略が成り立つ。てことかな。
https://t.co/EUP47vHYx0
この話を思い出した
日本語を学ぶ人は三種類の表記文字に
「3月1日は日曜日で祝日、晴れの日でした」
とか
特殊な例だけど
「子子子子子子子子子子子子」
とか
大変だ⋯
日本語を使えるようになりたいww
英語でも似た現象はあって、例えばpacked trainやpacked roomは入れ物が修飾されてる「袋詰め」パターンだが、packed bloodやpacked scheduleは詰め物の中身のほうが修飾されている「肉詰め」パターン・
日本語、そもそも順序と意味の関係が薄い言語で、順序関係なく言葉の組み合わせで意味が決まることが多いのでこういうことがよくありますね。
ツイートのキーワードだけ拾って全く違う解釈をして絡んでくる人たちが結構いるのもこの特性ゆえかと。
こういうのをコンピューターに理解させる試みってかなり昔からあるけど、構文をベースに解こうとしても難しいんだよね。結局、人間が、様々な周辺の知識をひっくるめて感覚で処理しちゃってるから。今時の機械学習ならいける可能性ある?
「ぎゅう詰め」は入れ物に「ぎゅう」が詰まってるわけでも「ぎゅう」という入れ物に詰まってるわけでもない、という新たな状況を発見してしまい、言葉の謎の深遠さに身震いしている。
文法大好きだし、文法的議論も面白く拝見した上で思うのは、結局こういう曖昧な部分は文法解釈だけでは解決せず、名詞(モノ)の性質も含めて考えるしかないのかなぁと。文法的には肉詰め(肉を詰める)が正しいが、袋詰めは、「袋を詰める」より「袋に詰める」ほうが自然だからそう使われているのかな。
なぜかって、論じるほどの話かな?普通にこれへのリプで結論出てそうだけど
つまり、「自然言語の用法は一定じゃないですね」で終わりそうだけど。それとも日本語の用法の変遷を辿れという議論なのか?