私の友人は「『なんで人を殺したらいけないんですか?』と聞く人間に、馬乗りになって『殺してはダメなんですか!殺してはダメなんですか!』と叫びながら殴り続けたら、その人もきっと『殺してはダメ』というと思いますよ」という、思い返すだにひどいこと言ってたなあ…。
ツイートに対するネットの反応
ただの強要やん
原則として、争いはしても同族殺しをする動物はいない
動物は群れで助け合い生きるから
あとは生活場所や社会に左右されるが、良しとされない行為に大抵は分類される
~してはいけない
ってバズワードなんですよねー
元来は個人の戒めのみに無矛盾で用いられるものなんですがお客様は神様風に何故だか違う例でも用いる人のせいでおかしなことになる
個人の戒め以外では「してはいけない」には穴が必ずできるので問うことも実は自己以外にはできないんですがw
ヒト社会の資本は本質的には信用だから、だと考えてる。なので人を殺してはいけないという大前提(建前)がものすごく重要なんだと思う。
ものすごく重要な建前が必要、というところが大事なんよ。
良い大人になって面白半分に人様にこんな質問をする人は「信用」に値しないかもしれんね。
根本的に人殺しを忌避出来ない人は想像力か想像する材料が皆無であるかそれを上回るくらい強烈な体験か教育があったんだと思う、そういう人は力で押さえつけて殴った所で原始的な弱肉強食以外の感想を抱けない、本人が殺されるのではなく殺されて困る人を作って貰わないと殺人の罪深さは想像が出来ない
「人を殺してはいけない」は俺の嫌いな言葉「人類普遍の価値観」に近いと思う。ただ、この言葉も「こいつは人間じゃない」と思って突破するハックがあるw
殺す立場と殺される立場で考えるよりシンプルかなと。
犯罪者の行動も死刑も説明できる
自分が殺されたくないのと、他人を殺してはだめというのは別問題だし、その2つをつなげる回答も出せてないからこれでは回答になってない気がする…
筋トレナースマン@滅びよ人類、ホームジムを作れ!@m2_tanaka
この手の殺人の是非に関する問答に対してはこれかなーと。
「古来、社会が殺人を禁止したことはない。ただ、味方を殺してはならない、敵を殺せと分けてきただけだ」某小説からの引用だがこれで大体合ってるように思える。
ツイートの趣旨とは違う意味になりそうだけど、猿の群れの実験思い出した
吊るしたバナナをとろうとすると冷水をかけられて、それを学習する。新しいサルを1匹入れ替えるととろうとするが、学習した猿に攻撃されてとらないようになる。それを続けるととっちゃダメかわからない個体だけになる
ってやつ
法律の根本的な話
法は法を作る人、即ち権力者に都合良くできている。
そして国民や県民の様に一人一人が国の力であり、
それを減らすということは悪
死刑とは、その損得で生かしておくと損が上回る場合。
『なんで人を殺したらいけないんですか?』と聞く人間には最適解だと思うけどなぁ
君は死にたくないですよね、痛いですよね?って感じないと分からない属性なんだから、分かってもらうしかないのでは?
か、最愛の人を…っていう悲しみを知るか。
_σ) まぁ、場合によっては殺しても良いのですが……
飽くまで殺してはいけないという立場に立って理由を述べるのであれば、『生き返らせるコトができない』からです。
人は“取り返しのつかないコト”を、成るべくするべきではありません。
人間は間違えるものだから。
自分も「なぜ殺してはいけないのか」って思ってたけど「相互破壊確証」を知ってから「法がどうであれ、他人を殺すのであれば、誰かは自分やその周囲を殺したり破壊しまくるから」と考えるようになって理解した気になってる。