まあなんだな。「好きな事に素直にのめり込んでたらオタクと呼ばれるようになった」人と「オタクというジャンルになら自分の居場所が有ると思ってオタクになった人」はなんというかね、やっぱり違うのよ。
ツイートに対するネットの反応
IBD事務局(広島・姫路・UC外科・兵庫)トキ@ibd_uc_cd
(‘Д’)子供の頃TVっ子だったから古い作品の再放送をよく見て覚えてたのと、友達や同僚がオタクで一緒に遊んでるうちにコミュニケーションツールとしてオタジャンルを嗜んでるだけのワイはオタクではなく一般人。
私の場合、元々前者だったのがいつしか後者に変わっている気がする(?)
一度離れてから、あの頃みたく熱を持てなくなってしまって「本物」じゃないという気が常にある。でもここって楽なんよね。多様性が認められるし、変な同調圧とかないし
オタクが沼にハマると言うより、オタクこそ沼みたいな所ある
前者は自分をオタクだと思っていなくて他者からおまえオタクだよねと言われてはじめて自分がオタクだと認識する
他者に発見されるオタク
後者は自分から率先して自分オタクなんすよと触れ周り居場所を確保しようとする
オタクということで自身のアイデンティティを確保しようとする
ある意味、NerdとGeekの関係ですね
好きで覚えた技術は狭く深く尖ってることが多い
必要に迫られて覚えた技術は広く浅いことが多い
そんなイメージかな?
凄く合点のいく話だなぁこれ。
私は自分がモデラー、大雑把に言えば”オタク”として生きていくことに疑問や迷いは無かったし、他の生き方に魅力を感じるかと問われるとよく分からなかった
多少なりとも今の生き方に疑問を感じたり迷ったりするのが多分”普通”なんだよな
前者と後者が全く別と言うわけでもなくて誰しも持ちうる2つの要素ですが、実は後者がオタクの大半で彼女が出来たとかの機会にあっさり離れていきます。そういう人を沢山見てきました。
一人で焼肉行って腹一杯になって幸福度高いのが前者。
一人焼肉をバカにするが、一人じゃ飯も食えなくて何をするにも人と一緒じゃなきゃ嫌で、相手の顔色伺ってキョロ充ムーブするしかない幸福度が低いのが後者
自分はまごうこと無き後者なので実に辛かった。
そもそもあのクソみたいな田舎に転校しさえしなければもう少しまともな人生が送れてたのだろうと。
前者は「げんしけん」で班目が言ってたことだったけ。後者はいわゆるファッションオタクっすね。今はもうそういう風に言わないかもだけど。
後者の人って求道者じゃない場合があってその場合は思想が、宗派が違うのよね・・・。
ロボゴーグ (マギレコ公開専用)@k6BLMdVjRLCrt5N
前者っちゃ前者だな
でも後者を否定はしない
最初はそれでも良いんじゃないかな
多分好きを突き詰めると周りほっぽいて一人でいる事が多くなる
それはオタクとしては本懐だけど
それが自分にとって良いこととは限らない
なんにせよ自分の選択を後悔することだけはしないでほしい
前者は外へ向かって結果を出せるオタクで、後者はオナニーしてるだけの自己満足オタク
後者から始まって前者になる人は普通にいる
けど、煙たがれるオタクは基本的に後者
前者は好きなものを追究していく過程でそう成り、後者はそれを目的として成った。目指すものがそもそも違うから、出来上がるものも変わって当然だろう。
ただ、他を貶したり排斥するような者は、それがどちらのパターンであれ、いずれ駄目になる。
これだな。かつてはマニア、オタクと言うのは蔑称であると同時に「(くだらないものの)専門家」と言う意味合いもあった気がする。
今の俺みたいな「広義のオタク(としか括れない浅いけど一部のサブカルチャーが好きな人)」とはまた別。でもわざわざ分けて呼ぶ呼称も意味もないのですよ。悲しいがね。
そんなやつおる?と思ったけど、おるな。ぐじゃぐじゃタグ並べてRTしろだの繋がりたいだの付き合ってもいない赤の他人相手にめんどくっせえ彼女ムーブ決め込んでるやつ。大量に。