太宰治が、勉強の素晴らしさについて教えてくれました。良いコト言うじゃない。このフレーズ何回も読んで自分を戒めよう。子どもが悩んだ時にも、この教えをうまく伝えられる様な大人になりたい。
ツイートに対するネットの反応
昔読んで素敵だと思ったフレーズ、もうすっかり忘れていた。
心を広く、カルチベートという言葉に、最近俺心狭いなと思った。
太宰治、テレビのない薄暗い部屋で古本屋で買ってきたのをいっぱい読んだ。
パンドラの匣、正義と微笑、ロマン燈籠が好きだった。久しぶりに読もうかな。
これはハッとするよなぁ~
たしかに、植物に詳しい人、三国志に詳しい人、文学に詳しい人、天文学に詳しい人がいたら、彼らはみな、その学びを、色水を吸い上げ、その色で開花する花のように、人格という表面に写していくのだろうなぁ。
この文章を見たのは2回目だけど、今見るとまた違うなぁ
ああ、これ覚えておこう……いつかそう遠くない未来に息子が言うであろう「何のために勉強なんかするんだよ」に対して。
そして、かつて同じことを校長先生に問うて「そんなことを疑問に感じずやり遂げるのが良い子だよ」と言われて泣いた7才のわたしのために。
小説『正義と微笑』の登場人物、黒田先生の、生徒たちへの別れの言葉の一部ですね。太宰治の意見だ、とは思いませんが、熱のある良い言辞と思います。
Sagittarius_Chiron @ 趣味レーショニスト@SagittariusChi3
だけど、心中未遂事件を何回か起こして自分のほうは助かっていて『だメンズ』に認定しているため、うちの子たちは『人格と文才は別』だって言ってます。
個人的には、ちょっと無理しすぎている印象を受ける。そういうこともあるかもだけど。
むしろ、ちゃんと知ったり考えたりしたら面白いから、と伝えたいスタンスの人だ。学問の根幹はいい意味で趣味の世界の一面があると思っている。
確かに、学生時代に不勉強だったエゴイストの意見かもしれないが。
勉強の結果残るひとつかみの砂金に何故価値があるのか、その砂金をどう見つけるのか説明していないので、個人的には太宰治の言っていることにあまりピンと来ていない。
「勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ」に深く共感してしまった。この砂金が、人生で迷った時に目の前をほんのり照らしてくれていたりするのよね。
教えてくれてありがとうございます🙏
この太宰治の勉強に対する考えというのは
「カルチベート」や「カルチュア」からわかるように教養を身につけるための勉強という面が強調されていていかにも文人という感じがするね
問題は言ってる本人が確実に見習わせたくない生き方とその果てなのが…。良い言葉なのは事実なんだけど、言葉に説得力ありそうで「でも太宰が言ったんだし…」で色々と悩む…。
これ、太宰治の勉強論としてよく紹介されますよね。
とてもいい文章! でもこれはあくまで太宰治の小説の中の文章なので、必ずしも著者の考えそのままとは限らないことには注意が必要かも。