外科医けいゆう|Takehito Yamamoto(山本健人)@keiyou30
前にも書いたけど、SNSの怖いところは、自分の信じたい話を「何とか見つけ出せてしまう」ことだと思う。
たとえ自分がとんでもなく誤っていても、自分を肯定してくれる心地良い主張を見つけ出すと「ようやくまともな人に出会えた」といって信念が補強され、そのうち取り返しがつかなくなる。
ツイートに対するネットの反応
みんな競馬をやってみたら良いよ。
競馬は自分の考えや思いを幾ら信じていても、それが間違っていればお金を持って行かれる。
だから様々なデータを元にシビアに考えて身銭を切って正しさ(馬券的中)を追い求める。
民主主義発祥のイギリスではギャンブルが盛んであるが、相関関係があるのだろうね。
これ、SNSに限らずネット検索でもそう。スマホやPCに残った履歴から、自分に心地よい情報が偏って表示されたり、センセーショナルな見出しで目を引く情報は検索上位に上がってくるけど信用できる内容とは限らない。たくさんの情報の中から、適切なものを選びとる目を。
これについては割とSNSに限らず日常でも向こうからやってきてしまうもんはあるかなあとも。。。というかそういうのを虎視眈々と狙ってる勢力なんかも現実にたくさんいてるのをSNSは反映してるだけではあるしで。。。
反ワクチン的な考えの持ち主の面々が、夜中の朝生のとある先生のワクチンに関する不正確な情報を嬉々として取り上げていたのはその一例でしょうな。
Twitterは端的で明快な分、結論のみ記載し根拠を省くツイートが多い。
自分と同じ考えのツイートをいくつ見付けたとしても『ツイート数の多さ』は安心感を得るだけで、意見を裏付ける根拠にならない。
今、私がハマっている界隈に感じる違和感やモヤモヤがまさにこれ!
自分たちにとって都合の良い信じたい話やネタを探し出してこじつけ、それを事実だと勝手に思いこんでいないか?
と思うことがよくある。
これ、コンピュータ界隈が2000年代にインターネットの大きな成果として紹介していた「ユビキタス」の思想が、2000年代後半には否定気味に見られる様にもなって行ったと重なって面白い
フォローしている人たち、或いは友人関係が例の通りだともう後戻りの出来ない大人になる。社会のルールとか常識とか、一定の満たさなければならない教養も自己流(ネット流)の人がいてビックリした。
コレの逆パターンな感じの体験、直近でフッ素入り歯磨き粉スレを見て「自分の認識がおかしいのか?」とプチ混乱しましたョ……。
「流石にたしなめるリプ・リツ有るよね」とスレ漁ったけど、それはそれで怖い条件反射やな、と今思いました。
言葉のナイフを持つ人が集まってしまうのは、こういうところもあるのかな…。
自分の言葉がどんな人に、どんな風に気がついてもらいたいか。
信じるなら、花束を信じあいたい。。
自分の他愛のないつぶやきに対する反応や、ドラマの評価とかも、自分と近いものが出てくると安心する。病気に関しても、不安要素が取り除いてあるものを信じようとする。あと、説明が分かりやすかったり見やすかったりするのは、理解しやすいから信じちゃう。人って、こう思うとチョロいな…。
これその通りかも。大衆はいつも信じたい事実だけしかみない。自分の能力をある意味過信してしまう傾向がありますよね。私も気をつけよう。けいゆう先生は、いつも物事の本質をツイートされてるイメージ。
よっしー@糖尿病&糖質制限マンガ描いてます@dmyosshie
それは本当にそうだと思います💦
エビデンス×2しか言わない人は苦手ですが、やはりエビデンスも大事なんだなと思う今日この頃です(すべての人がそれで救われるわけではありませんが)。