来月で東日本大震災から10年経つという事で
ずっと自分の中にしまっていたんですが、自分の経験した事を描いてみようと思い形にしてみました。読んで頂けると幸いです。
(1/4)
#東日本大震災から10年
ツイートに対するネットの反応
叔父が津波で行方不明にになりまだ見つかってないのですが、従兄弟は「もっと写真を撮るんだった」とつぶやいてたのを思い出す。だから私はことあるごとに家族の写真をたくさん撮るようになりました。
立場や仕事は違うけど私も人の命について切っても切り離せぬ業種なので、この話聞いてて他人事では無いし感情に流されそうになります…。
(初めて今の仕事を語るわ)
当日は会社でもこの震災についての大切なお話があると思いますが、今一度考えてみようと思います。
あの時はまさに東京で働いてて浦安に住んでたから、地震の被害が身近にあったなぁ(´・ω・)
住んでるとこが断水したり計画停電されたりで一時的に比較的近くに住んでた従兄弟夫婦のお世話になったり、大変じゃった。
私は被災地ではないけど、保育中に震災が起きた
突然の揺れと津波が来るかもとの警報に子どもたちを建物の一番上(四階)に逃し、職員は備蓄を必死で運んだ
夜になり残りは園長と主任が見ることになり、帰宅する際ニュースを見て驚いた
どこの国の映像?って
真っ暗な中3時間かけて帰った
もう10年か…
これ、実際に身内でありました。
津波で家が流されちゃったから写真が全然残っていなくて。
遺影は会社のだったかなぁ、集団撮影の写真を拡大してもらったものでした。
もう10年かぁ。
うおーん
つらい
ご遺体を運んだり処理したりも心底辛いだろうけど、こういう仕事は写真に残すおめでたさや笑顔が見えた分だけその落差でしんどさが増すだろうな…
感情殺して作業しろなんて絶対ムリだわ…
来月で10年かぁ。自分が住んでる神奈川ですら、かなり揺れた。また、こんな震災が来るんだよな。その時に自分に何ができるのかな。
きっと、救える人より救えない人の方が遥かに多いんだろうな。
首里城で赤瓦のカケラを警備員さんに見てもらった時にね、「守れなくてすいませんでした!」って言われてね、本当につらかった。この活動やめたいって本気で思った。
悲しくて痛くて、今も。
だからだろうか。子供にカケラを見せた時に「何これ?」って言われると救われる。
泣いた🥲不思議と時が経つにつれて記憶が薄れるんじゃなくて、日に日に思い出したくない記憶になっていってるんだよな。当時は津波映像とか見れたけど、今は悲しくて見たくない。
私も被災地で写真館勤務です。当日は中学校の卒業式でした。
あの時間は暗室でフィルムの詰め替え作業をしていて、揺れが大きくて焦ったのを覚えています。
そしてあの後、多くの遺影を作ったことも思い出しました。
これはキツい… / “あいしま@原稿中 on Twitter: “来月で東日本大震災から10年経つという事で ずっと自分の中にしまっていたんですが、自分の経験した事を描いてみようと思い形にしてみました。読んで頂けると幸いです。 (1/4) #東日本大震災から10年 …”
10年 長いようでとても短い
昨日の事のようにも思える 感情を殺さないと仕事にならない辛さって相当だよね あとこういうこと書くと偽善だとか言う輩がいるけどやらない善よりやる偽善だよ
コロナとかオリパラがどうとか言ってる場合ではないでしょ日本。
10年経って、あの時の記憶が癒えた人など居ないのではないでしょうか。
いま一度、自分が生きてる意味を考えます。
…刺さるなあ…
俺は直接の被災者じゃないけど、地下の店にいて異様な揺れを…目眩と勘違いするような異様で奇妙な感覚を食らって、その恐怖が忘れられない。未だに怖い。
俺でさえそんななのに、現地にいた方は…。
こういうのを見ると、みんな忘れたくないと思うんだなって感じる。忘れたいと思っているのは俺だけなのかな、とか。毎年思い出せ忘れるなって言われるのシンドイな。
Axlgun@椅子/Gn’R/MEGADETH@aaaaxxxlll
もう10年経とうとしてるんだなぁ
仙台の中心部はありがたいことにガス以外はすぐに復旧したけど、メシにありつくのは苦労した
俺を助けてくれたのは国分町の飲食店が(一部ボッタもいたけどヤ◯ザが駆逐した)頑張って格安でメシ作ってくれてたから
その国分町が今死にかけている
なんとかしたいよね
Takahiro Yoshida@PhotoBlo_taka
2以降は休み休みじゃないと読めなかった。安置所でご遺体の口内を確認して回った歯医者さんの話も辛かったけどこれも辛い。
こちらの写真館の皆さんががんばった写真でご遺族はいくらかでも救われたんだろうか。自分は写真館じゃないけど、写真を仕事にしてる身としてそうであって欲しいと思う。
あの日の悲しみをみんな抱えて生きている。
TVで見た避難所の女の子を思い出す。
熱でふせった女の子の看病をするおばあさん
「この子のお母さんは行方不明のお父さんを探しに行ってる。昨日は弟を火葬でおくった。」
田舎が徒歩3分で海の者ですけど
・波が一旦引いても絶対戻らない
・小中高校生でも非常事態に先生の言う事を聞く事、だけ教えて思考停止しない 5分で避難に動き出さないなら1人でも高台に逃げる事
これをしないと人は簡単に命を落とすので生き残った人の話をよく聞いてください
いや、泣いちゃうよ
人間やっぱり想像できないことってのがある
読書が好きで、色んな物語に触れていても、ずっと知らない感情や背景がある
こうやって一つ一つ、想像できなかったけど大切なものを見つけていくしかない
心に響く実体験をありがとうございます
もう10年とするか、やっと10年とするか、漸く10年とするか、人それぞれだけど。
あの時、津波に遭ったけど助かった友人がいるので、自分は「まだ」10年しか経っていないと思う反面、やっと10年なのか…と、思う気持ちがある。
当事者以外はそんなもんだと思うけど、この方は機会が無かっただけで、十分に人の気持ちを考えられる方
とても優しい方だと思う
いずれまた同じようなことが起こるだろうし、せめてこの事を忘れずに命を大切にするべき
それが今からでも出来ること
以前、働いてた職場に入ってきたバイトの方が同じような仕事をされてた方だった。仲良くなってから聞いた、なぜ正社員を辞めてここへ?の理由が、その仕事で心を痛めて職場へ行けなくなったからだった。
【作品展用】十人十乳-じゅうにんとちち-@Junin_Tochichi
同じ「写真に携わる者」としては、これは…
フリーランスのカメラマンも、20年近くやってると、過去に撮影させていただいたお写真を遺影としてご利用いただくケースもあります。
お宮参りや七五三ではなるべくお一人ずつのお写真も撮影できるよう心掛けておりますが→