所謂オタクの嘆きとして出てきた公式との解釈違いってミーム。そこから公式解釈って言葉が出てきたのかはわからないけど「公式の解釈」があるって向きが時々twitterでも見受けられるんだけど。公式から出できたものは「解釈」ではなくて「設定」になるんだから、ちょっと考察オタク自惚れが過ぎない?
ツイートに対するネットの反応
表現したいことがあるなら「作品」の中でやるべきで、作者だろうが監督だろうが製作委員会だろうが後出しを設定や世界観の一部とは受け入れ難いですね。。。そりゃ「公式の解釈」とも言われますよ。作品としての輪郭がどこまでなのかは大事。
公式=原作ではない(アニメオリジナル等が含まれるため)
なので、「原作の設定」という言葉が正しくて、「公式の解釈」はあっても良いと思うけどね。
まあ、その原作の設定との食い違い起こしてるやつが言っているんだろうけど
仰る事大いに分かりますが、仮に公式自体に作品の根幹を揺るがしかねない、あからさまな矛盾が生じた場合、公式設定だからと言って、その矛盾に蓋をするのも如何なものかと…
公式の解釈言い方嫌いで
公式に生じた矛盾に対してそれってどうなのー?って聞いたら同じファンだったものが「公式が言うのが絶対!矛盾?違うそれが正しいんだ!」ってなるのが解釈違いで今までの公式に準拠するかあとから出てもずっと公式に準拠するかの違いしかない。
公式の設定ミスは基本消えない
所謂オタク的な創作はからっきし駄目(昔文芸部の真似事的なことはしてましたが)で消費するばかりの自分ですが、公式はその作品世界の創造神であり公式が出すものが常に正解であり「解釈」ってのはあくまで非公式なところであーだこーだ楽しむものだと思っていたので公式解釈という単語の存在に驚いた
一連のツリーを読んだ後しばらくして、原作者の勝手な解釈とか原作とアニメで言ってないだけで実際には言ってるとかいうあのセリフ思い出してしまった
その昔、公式設定が出版物ごとに違う機動戦士ガンダムSeedという作品があってね。
人口、戦争犠牲者数まで本編、続編、外伝、設定資料、全て違ってたんだ。そういうどうしようもなく公式を無視せざるえないときもオタクにはある。ら