「科学を振りかざす」という表現にすごい違和感があるのは、おれの中に「ほかの方法論に比べれば、科学ほど誰もが共通の認識を持てるものはない」という価値観があるからだろうな。「算数を振りかざす」と言われているように聞こえるのだ。「22が7で割り切れない不安に寄り添え」と言われても困る。
ツイートに対するネットの反応
「科学を振りかざす」とは、「包丁を振りかざす」のと同じ理解の仕方でよい。科学も包丁もそれが本来の守備範囲のなかで用いられる限り有用だが、その範囲を逸脱して使われると害をなす。「包丁があるから料理ができるのに」と言っても始まらない。
権威主義と戦っているつもりなのでは?科学は一つの権威になりうるという認識があるのかも…(もっともこっちから見ればマスコミだって権威じゃんと思うけど)
反知性主義者が最初歴史学者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は歴史学者ではなかったから
フェミニズムが槍玉に挙げられたとき、私は声をあげなかった 私はジェンダー論学者ではなかったから
彼らが社会学者たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は社会学者ではなかったから
科学的に答えが出る事象は「正しい」ので、一部の人は文脈も前後の脈絡もなく開陳しても感心されるべきものだとブレーキが効かなくなる。それこそが合理的な態度、下らない常識にとらわれない俺カコイイ!となる。なにせ「正しい」ので自分の立ち位置すら顧みれなくなる。そこが怖いところ
正論だけ言い続けると相手は不機嫌になる、というのに近いけれど『科学』というものを浪漫や未知の事をすりつぶす嫌な言葉として捉える人がいるんだよね。血液型占いとかマイナスイオンとか
「円周率を数字を並べて表そうとしても、いつまでたっても終わらないのは、とっても不安だ。安心できる数学だけ、学びたい。」みたいな話ですかね。
科学の万能性というのは一見スゴいように感じるからこういう気持ちも分からんでもない
私も科学の世界に足を踏み入れた時はこんな感じだった
でも深く入っていけばわかるんや「22が7で割り切れない」というのは極めて限定された「算数」という領域においてだけなんやってことが
科学的に合ってさえいればどんなに口汚く罵ってもいいと思ってる奴らの暴言が振るってるからね。それへのカウンター諸々の頭と尻尾を貼り付けて「正しくても正しくないと言ってる無茶苦茶な連中」というレッテル貼りをして更にボコるってのは、良いことか悪いことかというと良くは無いな。
世界一の科学的合理主義だと大抵の人が思っているアメリカですら、そうはなってないのがコロナで丸見えになってしまったゆえに、サイエンティフィックアメリカンですら認識を反省してるわけで……
貧富の差は教育の格差、親の影響として確実に出るし
同調圧力の方が啓蒙より効果あるんじゃと言う感じが
Chihiro FUKAZAWA (レ)@query1000
科学は宗教でも思想でも法律でも芸能でもなく自然が定めるものだから。。「地球が丸いってことが受け入れられない人の気持ちは無視ですか」とか言われても逆に怖くなるだけで。。
確かに除算のような個別の「科学的方法」について広く共通認識を持つことは可能そうですが、「科学とは何か」という「科学」の概念そのものについて共通の認識を持ててるとは到底言い難いのが実情と感じます。