ツイートに対するネットの反応
俺も担任の音楽の先生が好きだったなー。
芸術選択の先生って世捨て人的なカッコよさがあった。
けして上からくるっていう感じじゃなくて兄貴っぽい
感じで。
キヨシローは三浦友和と日野高の同級生で、こんな記事も印象的だった。ちなみにアンジャッシュも2人とも日野高OB。
小林先生が、こんな風な飄々としてるよな先生だというのはインタビュー記事で見たことはあったけども。
お母様の心配する感じって、時代が変わってもよく目にする光景… 小林先生くらいの構え方ができるよう精進したい。
忌野清志郎。偉大なる先輩。卒業式前日に体育館でライブしていただいたのは生涯忘れられない思い出です(てか、企画してくれた方々には今さらながら感謝。
飛び跳ねすぎて体育館の床が抜けたのもいい思い出です(笑)
まるさとる(またの名をほづみ)×山本スーザン久美子@kaoritokuyama
この人生相談を新聞に投稿したのは清志郎さんのお母さん。
だけど、実母じゃないことを彼女の没後に清志郎さんは知る。それで出来た歌が「Day Dream Believer」。
ずっと夢を見させてくれてありがとう
僕はDay Dream Believer
そんで
彼女がクイーン
楽しい時には、好きな事を
先生がそれを理解してくれて
背中を押す事で、開花した才能。
偉ぶらず
叱らず
説教せず
まれにぼそっと生徒をほめる。
褒める事も
忘れない先生だったからこそ、
生徒も慕う。
その道のプロと名乗るのであるならば、
教えて・褒めて・才能を開花させる事も技術の一つ。
これ読んだら中学か高校かわかんないけど情景が浮かんで懐かしい匂いが🍃
「偉ぶらず、叱らず、説教もせず、稀にぼそっと生徒を褒める」
些細なことを覚えていることは素敵
清志郎はうちのマミーが大ファンでした☻
清志郎を聞いて楽しんでるマミーも思い出しました
俺は高校進学の時(30年前)、結構頭が良かったが、得意だったプログラミングを伸ばしたくて工業高校に行きたいって言ったら「その若さで進路を絞らなくても…普通高校(進学校)」行った方が可能性が広がるよ、と半ば強引に進学校に行ったら落ちこぼれました。
そうそう、
キヨシローのお母さんの相談投稿が新聞の人生相談に掲載された、っての、ありましたね。
亡くなってから今年で12年。
昨日のことのようにも感じるし、はるか昔のようにも感じます。
中学校時代不登校だった私のツレは、中三の担任の励ましで高校受験できた。今は編集デザイナーとして社会で生きている。その先生も、やっぱり美術教師だった。
美術の先生って、少し他の教科の先生と違うのかな。就職ありきの学部選択じゃなくて好きな学部を受けるようにアドバイスしてくれて、滑り止めに落ちまくってた私「お前は一番行きたいところに受かる」って励ましてくれたのは、美術の先生だった。本当にそうなった。ちなみに就職もできた。
小龍(しゃおろん)🇯🇵🇨🇳1coinVPN運営/iPhoneファクトリーアンロック/カート@xiaolong761216
ぼくの好きな先生は既に数年前、病気で鬼籍に入られた。教師になって初めて僕たちを担当した熱血先生で、多感な小学校高学年を支えてくれた。若くてとても真っ直ぐで、自分の人格形成にあの先生の影響はとても大きかった。卒業後お礼を言えなかったのが心残り。