ツイートに対するネットの反応
わーすごく共感する。傷は消えないしその一部になる。ただ、自分は最近嘘をちゃんと嘘として描く理想郷が時々「怖い」と思う一方、それが大勢の人から無意識に必要とされていることにも目をそらさなくていいんじゃないかとも思ったりする
大人に片足踏み入れた頃にフランス映画にハマったのだけど、グッサグサ刺してくるエンディング多くて痺れたな。「気狂いピエロ」のラストは初見で雷に打たれたよ。
ちっともかっこよくござらんわ。馬鹿か、こ奴は。
「表現の極北から見出される鋭い刃物のようなクサビで人と社会とを永遠に分断させよう」「これら二つが美しく共存するというのはまったくの欺瞞だ」
何を訳の分からんことを。
マジでこれ
最近だとNetflixのThe PROMに吐き気がした
未成年の子に大人があんな仕打ちをして(主にPTAリーダー)なぜ丸く収められるのか謎だし、何より気にもとめないで絶賛してる奴の多さに悪寒がした
Akira Shiraishi@refugee_as_hope
たしか「ロゴスの外側に映画は存在しえるのか」をテーマに映画作った、とゴダールが言っていたような…
それを思い出した。
いま,形容詞として「リアル」ばかり使われ「アクチュアル」は一切使わなくなった.
「見たい現実」だけ見てれば生きていけちゃう世界を端的に表してると思う.
映画じゃないけど、SAOって事件が起きてかなり序盤で4000人も死んでるんだよね。何か物語上の回収するのかとおもったら、なにもない。で、なにもない。
ある意味潔かったな。事件を引き起こした人はコメントすら残してない。
もしかしたら……
わたしは……いまだに……
ファイナルファンタジーの映画の呪縛に
囚われてるのかもしれないねえ……😪
映画で本業のゲームの黒字を潰して
倒産というか合併した
エンターテイメントであってもいいし自己主張であってもいい、もちろん芸術であってもいい。
尖ったっていいしよかったよかったでもいいのだ。
こうでなければならないなんてことはない。観る側が選べばいい。
それが映画だと。人と社会の永遠の分断を描く。美しい。そういえば好きな映画はそうだった気がする。そういうのを描くのが、表現をするのが難しい時代なのかなぁ。でも良識を取り繕った映画はつまらないなぁ。
ちょうど今日岸辺の旅を観た。
黒沢清監督の作品は今まであまりピンとこなかったんだけど、徐々に自分なりの解釈ができつつある。大人の映画だよね。
私が
映画『BU・SU』を何かある度に観るのよかったよかったじゃないからなんだよね。
青春残酷物語って言うか。
こんなことばっかりと言うか。
黒澤監督好き…
うわぁ、ああぁって言う表現が絶妙で、観た後もなんであんなことに…ってしばし考えてしまう話あるな。
制作現場は労働環境の管理もちゃんと考える方で、いつも観たいと思える。
「いろいろあったけど、よかったよかった」となるドラマも多過ぎる。現実がそうではないからこそ、そんな理想を描きたいし、その理想の世界に癒されたりするんだろうけどさ。…時々しんどいだな。
これは目から鱗。確かになー。
それでもまかろんはハッピーエンドの他は書くつもりないけど。
(だってバッドエンドなんか
リアルを見りゃ十分じゃん)
でも、いろいろあったら深手が残るってリアルは忘れないでおきたい。
小鳥遊 遊麻@新人Vtuber@takanasiyuma43
私はハッピーエンド主義者だけど、安易なハッピーエンドには首を捻るタイプだから凄い分かる……
当面の危機は去ったけどこれからどうなるかは分かりませんよくらいの感じが好きかも。アイアムレジェンドみたいな
全面的に正しいとまでは思わんけど、あってもいい価値観の一つやわ。
昔っから結構な数の物語は「めでたしめでたし」で終わるし、つまり人間はハッピーエンドをある程度求めてることやろうし。
好き 映画 いつも ガツンと!
えーって心の中で叫んでる
か
静かな無の心になる
そっかーって、気持ちになる
いろいろ
そう、ハッピーなんて絵空事
それもよいけど けど
失礼しました
たかが映画じゃない物語であればこそ、必然性によって進む筋の通った展開を望むってのは自分もそう。
ただ、徹底したリアルの追求は構わんけど、その結果が分断こそ真理というのは少々堅すぎないか?
そんなもんケースバイケースだろう。
そりゃそうなんだけど、現実で取り返しのつかない失敗とか「あーしてればよかった」「こーしてればよかった」って思いを沢山してるんだから、せめて映画の中くらいは「よかったよかった」って思いたい。
じゃないとつらい。
「よかったよかった」って映画もあっていいと思う。
「いろいろあったけど、よかったよかった」の流れに、私なんかはすぐ乗りたくなるけれど、その行き着く先が地獄になることもあるのだよな。「本当にいろいろあったなら人は取り返しのつかない深手を負い、社会は急いでそれはあってはならないものとして、葬り去ろうとするだろう」