人は人生を愛しているときには読書はしない。それに、映画館にだってほとんど行かない。何と言われようとも、芸術の世界への入り口は多かれ少なかれ、人生に少しばかりうんざりしている人たちのために用意されているのである。―『H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗って』
ツイートに対するネットの反応
パワステ@P兼騎空士兼提督兼マスター@powerstagesan
ラヴクラフトを知ってるかどうかで受け取り方の変わる文章だね
否定的に取れば芸術を卑下してる言い方だけど肯定的に取れば芸術を賛美してる言い方に変わる
このツイートが広まり、「ラヴクラフトが言いそうな言葉」「ラヴクラフトの人生観がよく表れている」とコメントしている人も多いけど、これはミシェル・ウエルベックが執筆したラヴクラフトの評伝からの引用で、ラヴクラフトの言葉ではないような……
自分が意識で思ってなくても、潜在的に思ってる可能性がある訳か…
求めているモノが手に入らないから、空想の中でも体験したいから没頭するんやろな
長沼美恵@心と体の調整をお手伝い@mangosteena39
わかる。
私、映画も読書も好きだから。
うんざりという表現が私にとって適切かは不明だけど、映画や読書、特に小説は現実逃避の道具になっていることは自覚してる。
でも、そんなネガティブな感じでもないのよ。好きなもんは好きでいいと思ってる。
それも私。
🍏Rosettey_Midori♪🌹LOVEsYOSHIKI_sama💙Forever😘💙@Rosettey_Midori
読書するきっかけなど、文芸を含めて芸術の入り口は、「暇潰し」や「現実逃避」だ、と言いたかったのかな❓
芸術は、思考や感情に休息や娯楽を与えると思うので、人生に不可欠なもの。けど、欲するタイミングは、必ずしもうんざりしてるとは限らないよね。。
よし。僕は僕のためであり、誰かのために絵を描こう。
疲れたら僕のフリートを開くといい😌
誰かを癒せる一枚を描くとしよう。
『色彩の魔術師』と言われた僕が少しだけあなたにも魔法をかけてあげようね😌💕
この文章を見てニーチェの凄さを感じた。
この人は言いたい事があってそれをこの文章に置き換えてる。善人になって人を攻撃する。だから攻撃される(反感コメント多数↓)
ニーチェは分かる人だけに届く言葉で言う。見てるのに見えない言葉。変換しないと見えない言葉。
何だか分かる哲学と思ふ!
アニメもスポーツも同様に思ふ。ゆえに国家は多種多様な依存症と他力本願思考へと導き愚民政策に利用する。
人生は自らの活きたシナリオ造りに挑戦したい我が哲学。連れ合いと共振、共鳴が幸せに近づけると思ふ。やや幸福な似た者同士!類は友を呼ぶ! https://t.co/mBm9SZrZ54
映画館での映画鑑賞も、読書も、『ほんの少しだけ』うんざりした時の楽しみなんだよなぁ…もう…読書する気力も体力も、映画館に行く気力も時間もないよぅ…
正にこれだ…外部との接触から得られる喜びが少ないからそう言う意味での生きてる喜びはあまり感じないずっとその環境にいると苦しくなる。芸術や抽象的なものが好き…とは言え凄い才能がある訳でもセンスが人一倍尖ってる訳でもない。一人でゆったり楽しんでるって感じ🤔
保育園の頃から読書もお絵描きも好きだったし一番自己肯定感の塊だった小3の頃もそうだったのでよくわからない。
鬱屈してるときの方が上達はしたけど、それは単に脳が発達しただけな気がするし。
結局てめぇは人の言葉を述べてるだけなんよ……
自分の言葉を持たない奴の何を良しとせよと言うのか……
称賛してる人は、もっかいよく読んだ方が良いよ。
これは本当よー
愛してると言われれば退屈な人生だし
ただ昔は読書くらいしか面白いことがなかったんだけど、行動範囲が広がってお金もある程度使えるようになった今じゃ読書の優先順位は下がりましたね。
意識したことは無いが、そうかも知れない。🤔
研究・開発の世界にいた間は、資料の調査を除いてほとんど読書
などしなかったし…
トップガン(1986)を観て以来、映画館に行ったのは 20年後の
ダヴィンチ・コード だった。😅
誰しもが人生、順風満帆では無いですし、そう見える人も必ず悩みを隠しているものです
人生に飽きる感情になる時も当然あって、「物語」はその沈んだ心を引っ張りあげてくれたり、感情を取り戻してくれます
「物語」(歌も詩も)は、そうして感動と共に、延々と紡がれて伝えられて今に至ると思うのです