「弱いものは淘汰されても仕方ない」的な考え方に対する伝説のアンサーと呼ばれてるこのテキスト、最高だな
ツイートに対するネットの反応
つまり種としての人類を考えたら
同じ人間の中で
「俺は強いんだからお前たちは死んでも仕方ない」
ということがそもそも間違っているんですね。
個人的には、そもそも弱肉強食というモノ自体。
弱い者が淘汰されるのではなく、弱者無くして強者が成り立たないと言う事を示していると思う。
弱者を喰って強者が生きるというなら、弱者が滅べば強者も喰う物が無くなって滅ぶ。
その場合を考えればこうなる。
強者を生かす為に弱者を生かす。
https://t.co/Gajswu2mGz 体育の強者が、算数の弱者かもしれないし、1人の人生の中でも、何が優れてて、何が劣っているかなんて、簡単には言えないんだよな。 世界はどんどん変わっていくし、どの能力に長けている事が有利かは、時と場所による。 だから、いろんな特徴を持ったやつが必要だ。
あぁなるほど、そういう見方もあるよなぁと思いました。最高かどうかは分かりませんが、こうした考えを抱いてしまった質問者の方にどれだけ届いたのかが気になる。
倫理観を無視した質問でも、その理屈をキチンと説いてくれる、もしくは一緒に考えてくれる大人は素晴らしい。
「規則だから」「常識だから」「それが社会だから」としか答えられんのは思考停止してんのと同じだよなぁ…
いや、なぜか良い話みたいになっているけど、生きるの辛い人は結局辛いままで生きていくだけの話で、何の救済もない解説なんですけど。
人間全体で考えると、弱い種も生かせば良いねとの話と、人個人が毎日辛いは別の話なのですが。
なるほど、とても面白い。
例えば
可愛い
が庇護されるためのもので
格好いい
が異性に選ばれるための進化だと聞いたことがある。
全てのステータスに意味があり、Aタイプが滅んでもBタイプが
Cタイプが滅んでもDタイプが
という具合に絶滅しにくい作りになっているという認識であっているだろうか。
考えさせられる。
生物的に弱者である人類は、弱者でも生き残れる社会を築いて繁栄してきたって事かな。
スパルタみたいに徹底的に弱者を排除してきた社会もあれば、争いによって強い物が世界を支配してきた歴史はあるけれど、結果として多様性のある社会が勝ち残ってきたということなのかな?🤔
a.R.I.O. (こてふP)@skittle_kotefuP
イレギュラーな人と弱者は違う。
前者は平時では不遇でも有事には活躍するかもしれない。
弱者を守ることは成熟した社会の倫理観だろう。
それは卑近な例ではゴミをポイ捨てしないとか列を作って並ぶとか、これらは不要なものでは全くなく、むしろこれがあるから住み易い良い社会だと我々は感じる。
群淘汰と個人/遺伝子レベルの淘汰の混同、さらに社会倫理との無理な接続。こういう言説が支持されるのは教育の責任だと思う。
人類が一部の変異のおかげで偶然生き残ってきた事と社会が弱者を守ることは全然違うんだってn回言ってる。
人類の生存戦略は社会性であり、多くのパターンの障害(形質的イレギュラー)を抱えておくことが保険となるという説明は一見もっともらしいが、現実には障害者や非モテは遺伝子を残しにくい上、人口減少を助長する“社会性”は種の保存戦略としては失敗なのではないか、という疑問に答えられるのだろうか。