ツイートに対するネットの反応
全ての起こることというのは後でどうにだってできるし予測ができるもの。
しかし感情というのは先を見据えては行動できない。
これから悲しいことが起こるかもしれないと思って構えている間の悲しみを先取りはできない。
そう感じた。
世界との不和感は普遍的な感覚なんじゃないかと思うことがある
因果関係から疎外された「私」は、むしろ逆さまの因果関係で世界と親しもうとするけど、その目論見も失敗してしまう
九段下 響子(˶ඕ ⌔ ඕ˶)@tanatosusisutem
物事が起きてしまった後に理由を考える、そう捉えました。
育児で多いのは「どうしてこうしたの?」と理由を聞くと思うんですよ。行動を結びつける為の理由を考える。無意識の感情的行動から言葉で表すことで成長出来る。
本のタイトル的にも そういう意味も込めて児童書にしたんじゃないのかな?
色々な人の解釈を読んで腑に落ちる。でも自分の言葉で表すのはすぐには出てこなかった。きっと考える力が衰えてるんだと思う。児童書を大人になってもう一度読みたいと思いました。児童書って大切だわ。
事柄に対して、自分はいつも遅れているからせめて悲しみだけでも早く自分が先に経験しておこうとしているのに悲しみの事柄が起こらないので、人生先取りしてもいいことないよってことかい?
すごい哲学的というか、現象を起こしてしまったからそうなるように自分が動かないといけないともとれるし、事前にこれから起こることに対しての備えをしてるとも言えるのかなぁ?
自分の生き方は自分が選んだのか人から示されたのをなぞったのか、最終的に振り返ってどうだったのかって感じ?
前半は人間の意思の自由について書いていますね。それはやろうと思ってしたことなのか、それともすでに準備されていたことなのか。
後半は理由のない悲しみを感じることを書いています。つまりうつ病を罹患して人生に疑問を持ったおじさんの詩ですね。
引用失礼します
不条理なようで、道理が通ってる気がする
『恋人が出来たから恋をする』
『墓穴が上手く掘れしだい少し位早くても死のうと思っている』
大人も子どももこうやって明日を確認しながら生きているだと思う
掛け違い それが生きる事なんだとも思う
やったことをこう正さなければと、失敗のフォローに追われ、周りの目が怖いし、周りと比べると自分は明らかに劣っている。ただ、これは自分の心の中の葛藤だ。母が死ぬ、恋人が死ぬように他の人から見たら『絶対これが悲しみだ』ってことは起きていない。悲しいのに自分から死ぬ理由も見つからない。
『そして、』以降が主題ですね。
わたし自身がおじさんになったわけではなくて、年齢が中年になったからおじさんと呼ばれるだけ、中身が年齢(または外からの見た目)に追いつけていないように感じることはよく言われることです。
11歳なら、(続く
要するに
「何事も受動的に生きてきたら因果が逆転してるかのように錯覚していたけど、そんな生き方をしていたら悲しみは勿論喜びも感動もなく、かと言って自覚がないので何故感情の起伏がないのかがわからず、それが分からないから悲しみの理由がいつまでもやってこない」
と言う話で↓
こんな児童書を書くなんて、拗らせた奴だなぁ…と直感的には感じる。笑
感じ方はそれぞれ。
それを「察してくれ、わかるでしょ?」と読者の側に動いてもらう様が、俺にはチト苦手な表現なんだよね。文学と言うかプロパガンダと言うか、著者と一晩でも飲み明かしたくなる要素はある。^^;
「全てのことに対して受け身で生きてきた。
その自分の人生を振り返るとどこか悲しいのだが、いまだになぜ悲しいのか分からない。そういうわだかまりを抱えながら生きている」
人は生まれた時から物質に囲まれ、その物質やそれに纏わる出来事、思う事で人心も変わり行動や出来事、人生選択も変わる
でも目に見えない「感情」は外に出さない限り、何物にも影響を及ばさないと言うこと。
なので気持ちは周りにちゃんと表現、行動にしないと「悲しいよ」
てことなのでは(^^ )
人によって解釈が違って面白いなあ
僕は、「主体的に生きることをしてこなかったらやがて訪れる自分だけの感情と向かい合うことができない」
ということかなと思ったよ
私が受け取ったメッセージは「形に囚われて心を持っていかれるな。心でよく感じてそれに従って行動しろ」「意志と行動が結果を作り出す。人生を後ろ向きに生きるのはもったいない」でした。
悲しみたくて悲しんでる人、いるよね。しかも無意識。(私もそうでした)
読んだけど、意味は読んだ人それぞれの中にしか無いなって感想。
早く死にたいから急いで墓穴を掘るのか、いつか雨風が作った穴が丁度いいと思った時入るのか。それ以外の何かなのか。
なんにせよ子供とこんな深い話する機会は中々無いだろうし一緒に考えたらいいと思う
キツイズボン買ったから痩せようとか?会社や学校では周りに合わせておとなしくしとく?とかそういうこと?難しくもありなんとなくわかるところもあった が、難しい
すべて自噴の意思で何かをしよう、成そうと思ってなかったけど周りがそうさせた
最後くらいは自分で選んで決めたいから死に場所やタイミングを探してる
って意味かと思った
「私(親)に『宿題をした!』といってから、全力で宿題を仕上げたことないかな?」などと、私はしたり顔でいったりますが。
この詩の本質は「どういう意味なの?」「どういう意味なんだろうね、例えばどこ?」という会話を、あなたと子女の間に生んだことにあると思っています。
「生れた年」っていうタイトル、ほかの全てのあべこべのように、この世に生を受けたから生きているって事なのかなって思ったよ。別に何をしにこの世に生まれて来た訳でもないのにね。生まれてしまったから生きてるんだよね。
自分もなぜだか悲しいのを納得するために悲しいことを探している気がする
人生はこれまで、世間体のいい外見が先行して、中身を埋める内実は後からついてくることばかりだったのに、なぜか悲しみだけは気持ちばかりが先行して、様になる言い訳を見つけられなくて困っている、ということですかね。
自分の人生の出来事はいつでも周りから影響されて起こることなんだよ、っていう感じの意味なのかな……
寺山さんの人生知らないから深くは考察できないや
自分とそれ以外の話かなと解釈した
なんとなく「自分以外」に合わせて、「自分以外」がそうであるから自分が合わせてみる人生はまあ悪くないが、
ふと自分にしかない感性だけ が「かなしみ」を感じたとき、自分以外は自分ではないので悲しみに同調してはくれない
そういう関係性なのだよと