いつか短歌にするためにツイートしておこう 今朝10:50に「フィリピンで父が死んだらしい」という連絡が姉から来て、わたしは「へー」と言ってそのまま11:00の会議に出ました。数年前にこの短歌つくってから父への気持ちが成仏してしまってて、マジで「へー」以外とくに感想がない
ツイートに対するネットの反応
結局は、いくら突き放した見たところで
カエルの子はカエル
切っても切り離せないのが親子であるんだなという
残酷さをじわじわ感じるおそろしい一首。
フィクションかリアルかはしらないけれど。
僕が生まれてから物心つく前に離別した父親もフィリピン渡って現地で再婚した女のために豪邸おっ建てたんだよね
そんなことしなけりゃ遺産も残っていただろうに…
残ったのは借金しかなかったので相続放棄しました( ;∀;)
現在進行形でこの歌に火付けが始まってる。だから言ってたよね? 甘い事言ってたら駄目だって。あの人達は、漫画だろうと映画だろうとCMだろうと文学作品だろうと、お気持ち晴らすために利用できるモノは全て焼き尽くす気なんだよ?
上の句と下の句の表現の強烈さばかりに気を取られて、なぜ、「フィリピン女」と表現しなければならなかったのか、とか「何色ですか」という肌の色への言及などの差別的文言が見えていない人が多い。あと、乳首の色で済ましたあたりに恥じらいが見られて減点。
父親への呆れや憎しみは理解できますが、それはその父親にだけ向けるもので、あなたの父親が買ったと推察される女性にぶつけるものではありません。
けっきょく父親は借金苦で失踪しただけで、フィリピンに愛人がいた証拠があったわけでもないのに、フィリピン人女性を侮辱するのは、よくいる「不貞した配偶者を罵倒せず、浮気相手を罵倒する」のと同じ思考回路。
父親嫌いなのは分かったし結構だけど、父親への負の思いを表現する道具になんでフィリピンの女性一般が使われて性的な表象に貶められなきゃならないんだろう。