江戸で暗殺された弟の敵討ちのために上京、人通りが多い神田明神の前で甘酒屋を営みながら仇を待ち構えたが、実際には顔も知らない仇なので待ち構えるも何もなく、甘酒屋は繁盛し、そのまま暮らし続けていくうちに
創業170年以上になった甘酒屋の話好きすぎる
https://t.co/Ds34tLVcc8
ツイートに対するネットの反応
防犯カメラもない時代に遠方の仇の姿なんてわからないのに上京したのは何故?という話をみて思い出したのだけど、敵討ちはたびたび行われていて黙認されていたか時には大義として機能していたらしい。
ただ明治に設置された法律に復讐を厳禁する・仇討を禁止する、という項目が改めて加えられる。
コメントに『復讐は何も生まない』とかあったけど復讐しようとして動いたら結果的には仇への復讐出来なかったけど何かを成し遂げてるので、ある意味それはそれで復讐できているのでは。甘酒屋もそうだけど、消し葬り去るつもりで暗殺されただろう弟も記憶と記録に残り続けたのだから。
子供の頃にはこの辺で暮らしていたので、餌豆を買って明神様の鳩と遊んだ帰りに、甘酒に寄るのが日課だったな。生活圏過ぎてw仇の話は知らなかった。
江戸時代なら「上京」という言葉じゃない、というツッコミもありますが、こんなにバズるとは思わなかった何気ないツイートで適切な表現ができなくてすみません。
とりあえずみなさん神田にお立ち寄りの際はこの甘酒屋さんへどうぞ….(私も行ったことある)
江戸時代、武士は家族が殺された時に仇討ちの権利があったんだが、実際はほぼ義務になっていて相手が見つかる見込みがなくても行く必要があった。
あと、この周辺の高台は埋立の為に切り崩された神田山の跡地で、古くて硬い地層が剥き出しになってて洞穴を掘れば崩れにくく温度が冷たく安定してた。
そしてここの甘酒、麹は絶品!!
甘酒そんなに好きじゃなかったんだけどここのを飲んでから大好きになった✨
塩麹も、自分で作る醤油糀セットも大好き!!
穴八幡で節分の豆と甘酒売ってるテキ屋さんもここの甘酒だからちょー美味しいよ♪今年はお店自体がなかったけど😭
甘酒屋と敵討ちの逸話はそれとなく知ってたけれど(←幼少のみぎりから時代劇ファン)、幾星霜も時が流れて初めてあらましというか実際を知った⁉️
池波正太郎みたいだ。亭主は時折訪れる年老いた客が仇と知るが、馴染みとなり付け狙い逡巡するうちに、仇が不慮の出来事で瀕死…最期看取る羽目に。故郷には知らせず、無縁仏となった仇の仏前に、甘酒を供える亭主。神田明神前で繁盛を続ける…みたいなラストにジプシー・キングスが流れるやつ。
武士の面子にかけて敵討ちに出なければならなかったが実は本人全く乗り気でなかったという話も多数あったらしいとは聞く。ここの初代もそんな一人だったのかもなあ。