Apple時代に外資百戦錬磨の色んな上司たちの資料を作る仕事をしていたのですが、心に残っているのは「情報が書いてあるだけの資料は時間の無駄だからいらない。複数の人がみて『適切な判断』ができるための資料を作れ」という指摘。資料作りにおいて、いまだに気をつけている点だったりする。
ツイートに対するネットの反応
これな…これな……
ただ、これをやろうとして、自分の思い入れの強さで情報の優先順位つけちゃう人もいるから、それよりは羅列のほうがマシだったりもするのが悩ましい
これを鎧祭りに当て嵌めると、
何人参加、何点作品あっただけでは、へぇ、だから何?となる。
興味無いのに描けと言われる事ほど
キツイものはない。
それを踏まえて、どうしたら参加しやすくなるか、何が必要なのか、
運営負担の抑え方はどうしたら良いか、混乱の中手探り中。。
参考になりました😊
情報羅列するだけの資料は一度でも、上の立場を経験するといかに役に立たないか思い知る
情報羅列だけなら、機械の方が正解だし、何なら今の時代、BIツールで情報可視化してしまえば終わる
人間に頼むからにはその先の話が欲しいんだよね
たぶん受け手が意味を誤る内容だなと思い、誰の役に立たないかもだけど補足。
複数の人が「適切な判断」ができる
よりも、
複数の人に「目的と意図」を伝える
と認識する方が良い。
資料は会議の目的を提示し、情報についてどの方向に導きたい、と出席者の意識を同一方向に向ける必要があるのです。
社会人の初期に、工場や生産、開発、営業の部門横断の会議を仕切る業務を担当。その中で実績集計〜分析〜判断材料となる示唆まとめの資料を継続して作った経験は凄い役に立った。スキルアップは勿論、意思決定者の視点で誰よりも深く考えることで、役職が上の人とも堂々と渡り合える立ち位置を築けた。
これはその通りなんだけれども、度が過ぎると、こないだ話題になってた秘書検定と似た問題(意思決定権者が適切な決定を下せない状態に陥る)を踏んでしまうので、ほどほどに。。。
別の言い方をすると「その資料な何が目的なのか?」という事だろうか
物凄く重要な視点と思う
目的が読み取れない資料は、読んでて辛い
自分が資料作成する際も、改めて気を付けよう
なんのための資料か?
なんのためのデータか?
…を提示してあげないといろんな人が好き勝手言い出してまとまるものもまとまらんよね。
データを整形してグルーピングしただけじゃ、お前は整理したつもりでいるだろうけど、それでは全く整理できてない。
って、どこかの誰かが言ってた。
わからない人を誘導するための資料作らされるのに残業ばっかりしてて大変だな、見る人が頭よかったら数字だけ書いときゃいいのになって非正規の時正規見て思ってたこと。これで世の中の夫たち帰ってこなくてワンオペ育児ってどうなのってずっと思ってたけどやっぱり世の中そうなのね。
こういう事言う人いるけどさ、
数字だけもらえば判断できる案件以外を他人の作った資料で判断するって、資料作成者を信用しすぎじゃない?
そもそも数字だって本当か疑うべき
これやりだすと謎の万能細胞と首吊ることになるぞ
「『想い』がある資料を作る必要がある。判断材料とか情報しかない資料は心が冷たいよ。」
とわけわかんねぇこと言ってる上司に読み聞かせたいわな。
枕元で朝までリピートしてやるよ。まじで。
意図はあるけど文字に落とさず判断を誘導するというのが美学だと思ってたけど、文字に落とした方が楽なのは間違いないんだよね。落とさずとも理解できる、しかし同時にあからさまな誘導にはなってはいけないというバランスは非常に難しいし、それがpage by pageで表現されてると感動すらするよね。
Shiyo Naka @ Linc CEO@shiyo_naka
いやー分かりみが凄い。
IBDいた時自分も昔資料作り良く怒られてたな。。
朝7:30出社したらデスクには既に赤ペンだらけの資料が置いてある、というね。
もはやトラウマ 笑
メッセージ性の無いスライド程生産性が低い物は無い、という事を死ぬ程学んだ
コンサルの人たちがオラオラと主張してる方法論っていうのは、つまりこの1点を実現するための方法論でもある。それは上位階層の人に評価されるための方法論であり、もっとゲスな言い方をすれば偉い人に気に入られるための方法論でもある。
会して議せず、議して決せず、決して行わず、行ってその責を取らず。っての新米の頃教えられていまだに気をつけてるけど、はなから決めにたどり着けない会議ってあるよなあ。
会議の目的は決めること、という点で共通する教訓なのかもね。ここ数年資料ばかり作ってるけど、改めて初心に帰るなあ。
査読する実力と改竄しない強い信念を持った職場で花開く方法。
上への忖度と感覚が勝る職場では、意図を持って作っても、査読された瞬間から多大な修正で忖度だらけのゴミが出来るよ。やったね(疲れた
それはそうな気もするけど「適切な判断」を自分で考えると主観が入ってしまうように思うからその資料を使う人が導きたい結論ありきで作れというのが近いのかなぁ
自分の仕事だと、自分なりの案提示+その根拠という「根拠付きのたたき台」を作るようにしてるなあ。
バイアスが入る懸念はあるけど、バイアスを取り去る方法は「主観を入れない」ことじゃなくて「別の方法で検証すること」だよ、と思う。
その検証のための論理やデータは必要。
これは全くそのとおり。
仕事の進捗報告会などでも、データをずらずらと書いてあるだけの資料を出す人が多くて閉口したことがある。
何がわかって、何が重要で、どうするか/したいかを出さない報告資料なんて見せられても困る。
私のプロフィールにも書いてますが、情報は『意志決定のための道具』です。この方の申し上げている情報とはおそらく「データ」を意味していると思われますが、意志決定ができない状態の「データ」のままでは意味がありません。「データ」は『情報』に加工して初めて機能します。
魔人りーあさん🍖☀️ミナボックス1期生@Rhea_Ricke
情報の分析を元にしたアクションの提言が、仕事におけるアウトプットであるということ。
また、この際「どこに手を打つべきである」と判断する根拠となるデータが必然的に必要となる。
これがあれば、「いやこっちにこそ手を打つべきだ」と資料の利用者が判断する余地は残る。
“複数の人がみて『適切な判断』ができるための資料を作れ” 自分も資料を作る立場だから意識しよう。 / “もりみちはる on Twitter: “Apple時代に外資百戦錬磨の色んな上司たちの資料を作る仕事をしていたのですが、心に残っているのは「情報が書いてあるだけの資料は時間の…”