ルックバックの殺人犯修正、元の犯人像から偏見が生まれる心配よりも「みんなで声を上げれば作品を修正させることが出来る」という成功体験を与えてしまったことを心配した方がいいし、本当に現実世界に有害な影響を与えてしまったのは後者なのではないか
ツイートに対するネットの反応
表現の自由や差別に関係なく会社のクレーム対応として悪手。自分じゃない誰かが可哀想だ、不利益を被る、だから直せ。そういう相手に成功体験させるとまた獲物見つけて言ってくるだけ。
「元の犯人像から偏見が生まれる心配」が存在するなら、修正する妥当性があるということではないのか。
「声を上げる」こと自体を嫌うということは、片方の表現の自由を抑圧することになる。是々非々で見ていかないと。
作品の修正は「批判があった」だけで行われるものではなく、創作サイドが自分達が受けた批判を吟味し、「その指摘が受け入れるべき適切なものであるか」という判断を経て行われるものなのだが、この手の人達はそうした創作サイドの判断をひどく軽視し、批判だけで全てが決まったかのように話を誘導する
偏見って誰の心にもあると思いますよ。自分のその考えが偏見かどうか、自覚するために、思考する能力があるかどうかが重要なんですよ。それを養うためにはキレイなだけじゃだめで。ここは少し考えないといけないな、作者の意図は?と慮る箇所が残っているものに学びがあるんだと思います。(個感)
本来、読者の選択とは本を手に取るかを選ぶことで、キャラクターの心情や言動を変えることではないはず。
それは作者が編集と話し合って決めることで、間違っても読者の勝手でキャラクターを捻じ曲げていいはずはないんだ。
それは作品への冒涜でしかない、編集はそういう声こそ「弾く」べきだろう。
「成功体験を与えられた」のは誰?
こういう人こそ偏見を元に都合良く架空の敵を作っているし、
偏見を助長するステレオタイプの悪影響を受けた見本のように見える。
この人と同じようなことを言って、偏見から憎む相手を遊び感覚で追い詰めたり死を大喜びする人は少なくないし危険。
”誰でもよかった”は現実的によくあるから共感する人が多そう
修正”させられ”後の方が皮肉めいてよりメッセージ性は強くなったような気がする🤔?