restorecon -RF /home/東風谷さずりん@Xatz
親戚に、「亡くなる前日に自分の子らを呼び出し、それぞれと話をしてお小遣いを与え、その晩に自宅を一人で掃除してゴミを玄関先にまとめ、書簡や書類の類を台所で焼却し、自力で救急車を呼び、持病の悪化で救急車内で意識不明になり、病院で死去」という完璧な死に方をした方がいらっしゃいましてね。
ツイートに対するネットの反応
mille ネット販売たぶん10月くらいに復活します@mille0906
やっぱりたまにそういう人っているのね
伯母が前日に自分で自分の葬式を手配してたのは越えられない伝説だと思う
日付変わった夜中にご臨終後、同じ日の早朝に故人に呼ばれた葬儀屋が遺族の元にタイミングよく到着したの
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「全部終わらせて綺麗に死のうと思うと自分を追い詰めることになるし、ましてや人にそれを求めても誰も幸せになれない」という話だったんですが、無限に綺麗な死への憧れや尊敬や期待が寄せられていて参っている。いやもう人がそういうものだってのはわかってはいたんですが。
これがフィクションかホラーなら、
『死亡解剖したら、どう判断しても死後数日経過しており、死後硬直していた…ので、どう考えても動ける筈がない』ってオチでしょうね🐈
これくらいキレイに死にたい。ムスメに全ての財産の場所を教え、元から荷物は極力持たず、片付けれるとこは片付けて、なるべくムスメに迷惑かけずに死にたい。
私の母は、病院嫌いで、体調が明らかに悪いのに何度説得しても病院に行きませんでした。
ところが、ある日、私の言うことを聞いてくれ、病院に行ってくれました。「まだ旅立ちの支度ができていない」とも言っていました。それが母の命日です。
遺族の事を思えば、する事を残しておいた方が良いのかも知れないけど、自分のケツは自分で拭いて亡くなるってカッコイイと思うけどな🤔
うちの父親は生前散々言ったのに借金もそのままで、それどころか保険金で買い物と旅行しまくって、片付けも全くせず、母に残すものも残さずに逝ったから大変で🥺💔
友達は持病があって長生きは出来ないと思っていたらしく体調悪くなってまず保育園に子供を預け実家にお迎えを頼み旦那さんに入院になると思うと連絡をいれ自分で用意して病院に行き一週間後に亡くなった。前の週に写真を整理して海水浴にも行ってた。医者にも予測出来ない死だった。本人もだと思う。
うちのおじいちゃんも
定山渓の山奥で
冬の年越しの支度を全部済ませて
疲れたから横になる〜
ってソファに横になって
そのまま亡くなったんだよなぁ
自分も完璧は無理でも
なるべく迷惑かけ無いように
いきたいなぁ
うちの親父は、変な事で借金作って喧嘩して生活態度を改めないで新しく借金作ってコンビニ弁当ばっかり食べてタバコ吸いまくって心筋梗塞になって入院してバイパス手術したけどダメだったなぁ…
身内としては悲しい気持ちは少しはあったが本音は亡くなって良かったという感じだったなぁ…
えっちゃん*アンチャーテッド (*`・ω・)▄┳一・ DbD@eccha_n_game
今までに1人だけ死期を悟ったおばあちゃまがいた。いきなり一日中お経を唱えて(小声)何かあったか聞いても教えてくれず、部屋の整理して身近にいる親戚を呼んで挨拶して写真撮って。
ナースと「よばれてるから絶対に引き戻さないと」って話してた👀
1週間後に亡くなった。謎だった。
見事に亡くなられたご親戚の方はご立派だけど、それを自分にも他人にも強いるようになった娘さんは「親は親、自分は自分、他人は他人、それぞれができることをしてあればいい」という境地に至らぬまま無駄に老いたな、という感想しかない。もしや認知症もあったのだろうか。ハラは老いる前にくくるが吉
ずっと預けっぱなしのクリーニングを取りに来た人がその後亡くなったとか聞いたことある。
あと夢枕に亡くなってる親族が立った数ヶ月後に亡くなったとかも聞きますね。やはり死を予感する何かを感じる人もいるんでしょう。
数年前に突然クモ膜下出血で亡くなったうちの親父、苦しむ間もなく一瞬で逝ってしまった様子でさ。ベッドの上だったけど、まさしく“自宅の畳の上で”っていう、理想的すぎる死に様だったよ。ただし、残された家族はめちゃくちゃ大変だったけどね・・・
ここまでじゃないけど99で亡くなった本家の大ばあちゃんは、前の晩にキチンとお風呂に入って身支度整えて、死装束の着物をきて布団に入り、翌朝目を覚まさずまさに眠ったまま逝きました。きっちりしてるおばあちゃんだったから、分かってたんだと思う。
ただの「いい話」かと思ったら,続きがあってちょっと違った。
ちゃんとした人を見てちゃんとする呪いにかかってしまう人がいる一方、その呪いがあるが故に他人がちゃんとしないことを極度に「許せない(自分には関係ないのに)」人もいる。
ちゃんとしない人ばかりも困るけど、極端なのも困る。
自分に完璧を求めるあまり他人にも厳しくなってしまう人を生み出してしまうかもよって話。
『自分自身の臨終』に限らず、家族関係やコミュニティ運営などでかくあるべしを追い求め、周囲の人にも高らかにうたい過ぎてしまう人っていますよね。
気付いたときに後戻りできますように。
私の父も退院した当日に亡くなりましたが、生前から頑なに「家族には介護して貰いたくない。苦労をかけたくない」って言ってたので迷惑をかけない死に方をしたと思います。(荷物の片付けは後から母や弟達とやりましたが)
昔「この人はいい死に方をするね」という褒め言葉を見かけて、「褒めてんのかこれは」と「でも確かにいい死に方はしたい」の間で感情が板挟みになった。以来、いい死に方ってどんな死に方だろうと時々考えている。
この死に方だと、薄れゆく意識の中で最高の達成感に包まれてそう。
ウチの亡くなった親戚って皆ガンの壮絶な闘病の末に死去というケースがほとんどだったんだけど、余生を楽しむ叔父がいつも通り午前中にパチンコ屋で3千円スッて午後ちょっと胸が気持ち悪くなったと一人で病院に行ったらそのまま大往生の連絡が家族に届く、少しうらやましい亡くなり方をした人もいる。
ツリー全部読んだけど、わかるようなわからないような話だった。その方の亡くなり方は理想的かつ、奇跡的。誰にでもは出来ないからこそ奇跡なので、自分が起こせないからって恥やプレッシャーを感じる必要は一切ない。でもそんな人も実在するのでしょうね。
立つ鳥跡を濁さず、とは言うものの、ままならないのも人の常。
まぁ、後の人の負担は出来るだけ軽くなるように、気楽に。適当に。
どうやったって、人の世話にはなるんだから。
宇宙に放り出されて、考えるのをやめない限りは(