塾講バイトしてた時に死ぬほど味わったな…
まじで「頑張れない」層は一定数いて、勉強に対してできる喜びもできない悔しさも感じてないからモチベーションをどうやっても作れないんだよな
成績は親が一喜一憂するものであって自分には関係ない、みたいな感覚になっちゃってる子もどうにもできなかった
ツイートに対するネットの反応
私は「努力する」こともそうだけど、「好きなことを仕事にする」って発想も理解できない。
仕事にしたら当然、結果を出すための努力をし続けることになるわけで、そんなものは苦痛でしかない。
というか、頑張れる人の思考や心が理解できない。
小学生の頃のピアノの習い事がこれだったな…
今でこそ弾いてみた動画とかもあるし自分の憧れや目標をいくらでも設定できるけど当時は音楽への関心が一切なかったし本気で苦痛だった
後悔と恥ずかしさと申し訳なさを今でも引きずってる
「勉強をさせる/する」って手段が目的になっちゃってるのかな
何でもいいから好きなものを見つけて、それに関する知識を自分で調べる流れが作れればいいんだけど…
わかる。親の顔色を伺うためだけに行った塾だから、やる気も気合いもないのに、めっちゃスパルタな塾で、何も感じなかったなぁ、、、
テストの点数張り出されても何も感じないし、興味もない。
親が納得しなければ少し点数が上がっても褒めても貰えない
やる意味を感じられなかった
興味のない教科は本当にどうでもよくて、毎回授業一回分丸々寝て過ごしていた。留年したときも何の感情も湧かなかった。自分で勉強するようになったのはプログラミングに興味を持ってから。
興味ない教科とかまさしくだわ。地理と歴史に全く興味なくて覚えられんかった🌏授業で教わる地図や歴史は嫌い。だって私にはなんも関係ないやん。興味ないものを頭に入れたくなかったんだろうなぁ。
でもゲームとか旅行に必要な地理や歴史は真剣に調べるのよねwww
これなんだよな。
ひろゆきも言ってたけど結局「努力できるかどうかも一種の才能」で、才能が努力の変数になるっていう
これはアメリカの研究でも証明されてるらしい
別のツイにて絶対に伸びない子はいるという発信をしていたが、確かに障害等が理由でそういった存在もいるだろう。ただ講師が伸びない子と突き放す、見放してしまう多くの理由は講師自身がそこまで情熱を持てない、給与に見合わない、勉強にしかフォーカスを当てられず人を導けないことにある。
理屈では分かってる(ってた)
先生の言うことは正しい
人には言える(言えた)
「知識以外の面(忍耐力とか含めて)でも得るものはあるし勉強しろよ〜」って
(自分はしないのにw)
でも自分はしなかった
努力出来ないとか甘えって思って(気づいて)たけど
それでも出来んかった
多分「勉強」という枠に教える側も教わる側も囚われているんよね、多くの場合。
ただ、少数ながら、全てにおいてやる気が作れない子もいるのは事実。
塾ならやめてもらえば終わり。
学校は面倒見ないといけないので地獄。
自分の勉強の動機づけとしては「悔しい」よりも「怒られたくない」の方が強かった
塾の講師をしてた時、成績が悪くても怒られたことがない子は全然伸びなかった印象
勉強に対して頑張って理解できた時の喜びや、理解できない悔しさ味わったのって大学生(院生)の時が初めてでした。高校までは与えられた課題さえやっとけば、それ以上のことはやらなくていいやってモチベーションだったし、「頑張りたい!」って感情はなかった。
マジでこのタイプの子供だったけど親にゴリゴリの進学塾へぶちこまれて、席順すら成績で決められててしんどすぎて、中学生だったのに鬱で味覚なくしたし寝てるだけで動悸やめまいがすることもあった(高校入って塾辞めたら治った)
できることは指導までだよなぁ~…水が飲めるところまで連れていくことはできるし効率の良い飲み方までは見せられるが、最後に水飲むかどうかは本人次第だよ。極稀になんかハマってくれることはあるが限度はある。
俺もこんな学生だった。
塾せいで、常に詰まらないし苦痛だった。
当然、成績はボロボロ。
大学生になって、興味ある科目を好きな時間に勉強できるようになり、成績は良くなった。分からないことを調べるのが楽しかった。
勉強することすなわち楽しみみたいな人も少なくはないですが、勉強以外に興味を持つ方も一定数いますよ。
そして悲しいことになにも興味を持てない方も
わたしが親だったら子どもに
「📔🖊机に向かって勉強するより、モニタに向かってゲームしなさい📺🎮」って言うかもw
自分自身がゲーマーだからきっと周囲の人にもゲームを薦めていることでしょう😏
私は逆に「成績が良いと親が喜ぶ」という感覚がなかったので、お子様達が「100点取ったから褒められる!だから良い点取りたい!」と言ってるの聞いて驚いたなぁ。どんなに良い成績取ろうとも褒められた記憶がなかったから。
間違えたりするともみ上げ引っ張ったり、しっぺ、デコピンやってたクソ塾だったなー。
もうモチベなんぞないよ。
親に行けって言われるから行ってただけ。
終いはサボって友達の家行って塾に行ったフリしてバレて殴られたりとかいい思い出なんてねーわ、塾
凄い分かる。
私の生徒にもそういう生徒はいた。
かく言う私もそうだった。
なんで皆そんなに勉強すんの?って感じ。点数が悪いと怒られて良くても誉められはしない。上に人がいるからな。
高校に進学した時に母親から「義務教育中は勉強させるのは、親の自己満足。こっからは知らんで。」と言われた。
>まじで「頑張れない」層は一定数いて
これ。
ガチでそう。
社会の通念で大卒を偉いと思ってしまう時代はもう終わらせないと「このルール下では頑張れない層」の不満が爆発する。
そも、大卒なんて真性カスが大半だし。
と、私大御三家卒の俺が言っても、あまり説得力は無いのだがw
学生の時これだった。なんていうか、勉強=大人達への接待ってイメージだったので、理解する楽しさなんて分かんなかった。卒業して親が成績を気にしなくなる環境になってから勉強する楽しさを知るようになったよ…。
頑張れない。どう考えても頑張る気が起こらない。…
私も中学・高校の期間の一部、そういう時期があったから何となく分かるような気がします。
(よくよく考えると、そのままずっと頑張れないままという可能性だってあったわけだよな。。)
難しいですよね、こういうのって。
「頑張れない」状態にさせる一因に、親の過剰なノルマ設定主義があると思う。
「頑張る」ことに実力以上のノルマとペナルティが付随するようになって、子どもの意思は関係ないのに達成出来ないと責められるようになる。その内、上昇志向は精神衛生的に邪魔でしかなくなります。
自分はそうでした。
中学も高校も「お付き合い」で塾行かされてた(親が周りも行ってるから行きなさいって感じ)から、たぶんこれ。
やれば上がるから葉っぱかけられるんだけど、本人やる気も興味もゼロだから、モチベーションなんて当然なし。
本番で恐ろしい点数たたき出してやな顔されてたw
こういう生徒割といたので、ひたすらに雑談してなかよくなってぼく自身を塾に来させるモチベーションにさせてた
「塾は居心地のいい場所」と思わせるところからスタートしたら割とやる気になる子が多くて感心した記憶
オレの体育や運動、スポーツ全般がソレだった。
勝っても負けても大して嬉しく・悔しくなかったし、みんなできる事がオレ一人できなくても、全然悔しくなかった
今でもゲームは好きでやるけどできるできない・勝った負けたは割とどうでもいい
年取った今は後悔してる…(基礎体力が全然足りない)
まさにそれだと思う。
それにテストの点数って社会じゃ実はなんも価値がなくて、あるとするなら親のエゴや自慢の道具に使われるものだと思ってる。
就活の自己PRで「数学で毎回100点でした」と言っても「すごいねー」とくらいしか思ってなさそうだし。
いやもう勉強だけじゃなくて人生の全てがこれオブこれ
その末路がニートだけど別に「あの時一生懸命やってれば…」とか「若いときに戻ってやり直したい…」とかも一切思わない
人生全てに頑張れない
基本的にこういう頑張れない/頑張らない生徒が通う職場だったけど、それ以前に新しい知識に触れたり、考え方に触れること、ひいては勉強がわかることをまったりした自分の世界を脅かす存在であるとして脅威に思う生徒も結構いるんだよね。
これ、実は子供の問題のパターンだけでなくて、
『親が誉めない』
『100点(あるいは極めて高レベル)を基準にして減点方式で評価する』
親だと子供は勉強しなくなるよ
ってか、逆にみんなそうじゃないことにビックリだよ!
勉強ってジャンルはできる喜びとかできない悔しさとかないって
それがあるのは、勉強を遊びや楽しみに昇華できるほんの一握りの人だけだって
姉は運動が得意でその能力で就職まで勝ち取った。自分はそれに対して嫉妬も願望もなく、すごいなあと完全に他人事だったし、クラスでの運動の成績順にも一切興味がなかった。
勉強に対してそういうスタンスの人がいても全く不思議なことではないわな。