私が中学生のとき数学を担当していた木訥とした先生が、ある日の授業開始前に急に「昨日子供が生まれたんです」と言ってすごく嬉しそうな顔をした 普段冗談なんて言わないのにその日はいつもと違って、教科書のりんごとバナナが出てくる問題のバナナのことをバナーナとふざけて言った 別にそれ自体は
ツイートに対するネットの反応
こういうことを感じられた当時の感性も素敵だし、今でも覚えていられる感性も素敵だと思う。こういう感覚って、尊いもの、得難いものだと、僕は思うのです。
凄く素敵だけど、『休めない』って辛いよね…尾木ママの『入学式に…』発言や最近の『ワンオペ』とかね…学校の先生に良い待遇や時間をと願う。素敵な先生は何か犠牲の上に僕らの青春の記憶があるんだなと今は思う。
高校の時の数学のK先生思い出す…けっこう怖い先生だったのに、娘さん生まれてから、初めて寝返りをうった話とかするのに「うちのプリティー○○ちゃんが」って言っててキャラ変っぷりがすごかった(笑)
このツイートを見て、昔のことを思い出した。私の場合、ある日の授業開始前に「夫が危篤でして、今日は携帯電話を持たせていただいてます。」といった家庭科のおばさんおばあちゃん先生がいて、授業中に電話が来て廊下に出ていった。戻ってきた時は涙ぐんでた……。その日はなんか何も頭に入らなかった
子供が生まれてうれしく思う父親もいるのに。毒父は「男じゃなくてがっかりした」とアルバムに書いて「お前なんて欲しくなかったのにできて困った。お前がいるせいで働かなきゃいけなくてしんどい」と言い続けた。
めっちゃ面白い話だから面白いリプで溢れてるかと期待してみたらみんな「木訥」調べてて草も生えない
Twitter民日本語力低すぎないか……?(ツイ主さんは除く)
ほほえましいツイートの中に「朴訥(ぼくとつ)」の一語を加えるだけで皆がこぞって反応しツリーにぶら下げていくという、一つのテクニックを感じた
アテネフランセに行ってたとき、同じ先生に3年位習ってた間に先生にベビーが産まれてた事を後から知り、何で言ってくれないんだ!となんか思ったな🙂。幸せは聞きたいタイプ。自分も幸せになった気持ちになる。
バナナと言えば、昔仕事の研修で全国から人が集まった時、各地方バナナをどんなイントネーションで発音するか「バ↑ナ→ナ↓」か「バ↓ナ↑ナ」か話してた時、大阪出身の人が「まあおれのところではバナーナですけどね」と言ったのを聞いて「関西の人ってこんなに面白いんだ」と感動したのを覚えてる。
自分の高校の時の担任も、感情の起伏があまり無い方だな〜と思っていたら、ある朝のHRに「親父になりまして」と嬉しそうに報告してきたの覚えてる。表情が柔らかかった。
クラス替えの後も、廊下ですれ違った時に「娘さんお元気ですか!」と聞くと嬉しそうな表情してて良かった。
これで思い出した父の話。
父(教員だった)の葬儀のとき、同僚だった先生が
「ご長女が生まれたとき、〇〇先生(父)はすごく喜んで、ぜひ見てくれと僕も病院へ連れていかれて…出産直後だったのに、奥さん、あのときはすみません…」
と言っていた。
母は困ったろうけど、でもこの話は好き。
学活中先生の話の時に机の上に手を出してると怒るような先生が、子供産まれた次の日、つけた名前をデカデカと黒板に書いて紹介し、更に数年後には誰かわからないくらい柔和になってたことあったな〜
すごいなあ。
ちょっと凹み気味だったのに、このエピソードを読んだらなんとなく気持ちが明るくなった。
赤ちゃんってこんな遠い存在のところまで照らす力があるんだなあ。