「なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか」というド直球タイトルの論文を見つけたのだが普通に面白かった……。まず論文のサマリーが「今回もまた締め切りぎりぎりになる。なぜできないのだろうか?我々はあほなのだろうか?」
https://t.co/GK0w7TGLPg
ツイートに対するネットの反応
のぼる | クリエイティブディレクター@climb_graphics
「今日、このまま寝てし まっても締め切り等に影響がない状態」が 1ネルーであ り、「n日寝てしまっても締め切り等に影響がない状態」 が nネルーである。
意志の弱い僕は0ネルーからが本番
これ見て思い出したものが2つ。1つは先日見たばかりのツイートで、人間は自由時間が多すぎても幸福値が下がっていく、制約された時間も幸福に必要、と言う話。2つ目が蟲師「雨が降る虹が立つ」。ギンコ曰く「目的を作ると余暇も生まれる。生きるだけだと休みがないからな」。
こういうので思ったけど、日本人は「無理を言ってお願いしたらどうにかなった」系美談に喜びすぎるのがあるかもしれないね。
「無理を言っては申し訳ないからやめておいた」という謙虚な側面もあるけど、こと仕事においてはなぜか「仕事なんだから優先される(しろよ)」みたいな無理させる文化がある。
引用—-
相手の準備不足から
生じたきつい締め切りを伴う依頼は、「正当な依
頼」とは見なされず、従わなくて当然、となる
わけだ—–引用終わり
弊社のおじさん共に言いたい。こういう直接的な感じではなくもう少しやんわり言ってるけど、次からははっきり言わせてもらう。
我々は創作をあれこれ構想し積み上げることから始める。だが締切が迫ると作業を簡潔にすべく不要なものをどんどん選別し要素を減らしはじめる。積み上げから選別へのシフトである。この選別簡潔化こそ創作の純粋を昇華させるのである。締切は偉大だ。つうか締切が迫ってないのに仕事するとかあほなの?
その論文読んでみたい。ちなみに自分が長年かけて出した結論は、
「時間が許す限り永遠に続く思考や想像を、締め切りという外部の力で断ち切ることで、そのように血を流した成果物を二度と直したくないという精神の働きによるもの」だと思ってます。
僕なんか編集者がサバ読んでいるのがわかるから、締切が来てから書き始めるという悪癖がついてしまった。それに気づいた編集者がさらにサバを読むという悪循環…
自分は締め切りから逃げ切ったと思ったら、また次の締め切りが迫って来ている状態です……
あと、細かいですけど、雑誌名とかは消したり、架空のものに置き換えた方がいいのでは?って思いました🤔
あんま長くないので是非読んでほしい。
>> 以下では、k>1の仕事を創造的仕事、0<k<1の仕 事をやっつけ仕事と呼ぶことにする。
ここ好き。