LGBTを迫害するのは自由だろ?
それも多様性だろ?
というおバカがわいてますけど…
日本国憲法第14条を理解してほしいのと、
寛容のパラドックス
というのがあります。
「不寛容な人(他人を迫害する人)を寛容していると、寛容な社会(多様性)が破壊される」というパラドックスです。
ツイートに対するネットの反応
寛容のパラドックス!同じことを考えている先駆者がいて驚いた。多様性の本質は、少数(弱い)意見を認知して議論を健康的にすることにあり。寛容や不寛容が、許容や拒否がセットでは無いと考えている。
LGBTの方々の故なき差別を無くすために闘うんならどんだけでも賛同するけどさ、明らかに『LGBTの方々をダシにして安倍政権を潰したい』だけなのが色々な所で露見してるからなあ。
RT @dokuninjin_blue: ポパーが言う寛容が制限される不寛容とは、「拳やピストル」によって他者の自由を侵害する危険がある場合に限られるのであり(そうでなければ合理的議論によって反論すべき)、どちらかというと法や権力でヘイトスピーチを規制すべきだと主張する側のほう…
寛容のパラドックスについて、基本的には理解するけども、ネトウヨと一括りにして差別をする不寛容にも適用されなきゃいけないよね。
ヘイト撲滅を謳いながらも、「ネトウヨには不寛容になるべきだから、ネトウヨに対してはヘイトしても良い」という新たな差別の免罪符にならないようにしたいね。
RT @doraephoneomote: てか大抵の人は「LGBTIを嫌う(内心の)自由」の話をしているのに、一部のクズの主張する「迫害する自由」などというトンデモを持ち出すのがとてもアレだよね。
大半の人は迫害だなんて言っておらず「嫌い」とか「優遇するほどの事ではない」とか程…
「迫害はダメだけど、個人レベルでの好き嫌いは許容していかないとトランプみたいな事になる。しかし、許容しすぎると集団ができだす」という、ヒトラーとトランプとの二枚バサミになってるから発狂
RT @rairaiyokoami: あれ、カール・ポパーってこんな感じで言ってたっけ?
と思って見てみたら、やっぱり言ってなかったっぽい↓↓
ポパーと寛容のパラドックス、その誤用について
https://t.co/AV2ckPDWLm
難しい話にしてるけど、ようは
「ひとのいやがることはしない、させない」
である
幼稚園児に言うような内容こそ憲法権利社会性の根幹なのだ、タブンネ
これ、LGBTに限らず日常的に感じる。私的な例だが、どんな人も基本的には受容できるが
「多様性を認められない人」だけは受容できない感覚的構造に酷似している。
「多様性を認める」という寛容の中には「多様性を認められない」人を内包すべきか否かという命題に対してこれが一つの材料となった。
てか大抵の人は「LGBTIを嫌う(内心の)自由」の話をしているのに、一部のクズの主張する「迫害する自由」などというトンデモを持ち出すのがとてもアレだよね。
大半の人は迫害だなんて言っておらず「嫌い」とか「優遇するほどの事ではない」とか程度。
第十四条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、
RT @ChouIsamu: 寛容のパラドックスと似た事は意外なモノでも過去に起きている
それは、フリーソフトの開発で、一見、最も制限の少ない「著作権放棄」だと、著作権放棄したソフトの派生版には著作権が発生し、逆にソフトとしての自由が失なわれる危険性が生じる
https://t…
RT @ChouIsamu: その場合の最適解が、著作権を放棄せずに、著作権を「このソフトウェアの派生版は自由に作ってよい。但し、派生版の更に派生版を自由に作る事を認める限りにおいては」と云う風に使うと云うモノ
YUKISHIBA☨7/28夏フェスThanks!@MALICE_BERRY
ツイ主の主旨と全く関係なくて恐縮だけど
この画像みたいにナチスならどうこき下ろしてもいいみたいな風潮どうにかしたい。
この画像のテーマなら、ナチスの代わりに人種差別を垂れ流すF.ルーズベルトやトルーマンでも描いてみたらどうだ?
それとも偉大なる戦勝国様にそんなこと出来ないか?
どこまでが自由なのか、どこに正当性があるのか。ニュースや世論に思考を頼りきってしまわず、自分の意見を持つべき。
また、その意見を1つの考えとして修正出来る柔軟性も持ちたい。
なるほど。でも難しいなこれ。
LGBTじゃないけど、自分が仕事に追われて必死なときに、同じ仕事してる同僚が全然やる気なく休んでその作業が回って来たりすると、それに不寛容になるのもいけないのか。相手に寛容であるためになぜ自分がストレスを抱えなきゃいけないんだろうと思ってしまう。
マイノリティ差別する人は自分がマイノリティになり得る可能性を無視しているっていうの、それな・・・・・
不寛容さにはなるべく触れずに悠々と生きていきたいですまる
LGBTについては、正直なところ知っていることが少ないので何も言えませんが、
日本という国そのものが、近い将来マイノリティになるというのに、そのちっこい世界の中で迫害しあってどうすんのかなー
ヘイトに対してヘイトで対抗していいという理屈にはならないのでは。
「犯罪でなければならない」であって「罵っていい」ではないのでカール・ポパーこんなとこで名前出されてきっと泣いてる。
こういうの「寛容のパラドックス」っていうのか
このパラドックス陥ったことあるから、的確に名前と解決法を提示してくれてめっちゃスッキリした( ˘ω˘ )
実際迫害するのは自由。でもそういう根拠や理由をすっとばして自由を掲げるバカはもっと迫害されるべき。みんな、曖昧な道徳論しかもってないからそういうバカを迫害しきれない。頼むからみんな理論を持った道徳を得てくれ。自分なりでいいから。
さて、問題はその線引きが誰の価値観で行われるかということだ。
意思決定において結果的に黙殺される相対的少数派が、絶対数において少数派ではない時、社会は成り立たなくなる。
こういうことを言うなら、俺を含む「不寛容」な人間をいつまでも生かしておかずにさっさと殺処分する世界になって欲しいもんだがねぇ。
認めないなら殺せ。生かすなら認めろ。
そう思うことが、そんなに悪いことなのかねぇ?
RT @gakky88NSR: 不寛容を寛容すると、不寛容側が有利になります。
暴力を寛容すると、暴力側が一方的に暴力を振るい続けることになるのです。
これは対等ではありません。
なので攻撃してくる者に抵抗、反撃、排除するのは必要なことです。
闇野神殿㌠@めがねっ娘教団暁美ほむら派@yaminoshinden
ブルーノ・ワルター(ナチスにドイツを追われたユダヤ系指揮者)は、「私は世の中のすべての問題には寛容という解決策があることを知った。ただし不寛容にだけは寛容を適用してはならないことも知った(大意)」と言ったそうですね。
「寛容を守るために不寛容を寛容しない」。これって、「自由を守るためにルールという不自由を背負う」「争いを回避するために武力を持つ」とかと似ているような気がします。「人権を守るために凶悪犯の人権をはく奪する」というのも当てはまるのではないでしょうか。
不寛容であることを極端に嫌った結果、寛容であることを強要される世界になるんだよ。今のアメリカみたいにね。それは本当に健全な世界かな?孔子曰く、過ぎたるは及ばざるが如し。不寛容には不寛容でなければならないとは極論。何事も程々が最良なのです。
中田氏昇天 夏コミ土曜日東地区 C29a@nakatasisyoten
ポパー先生は私の師匠の一人ですが、これはまさに正論
不寛容に不寛容になるためには、知識が必要なんよ。
じゃないとブラックジョークが分からんし、流されてしまう
言うて日本国憲法って結婚のくだりとか見るにLGBTには全然寛容じゃないからな
それどころか存在しないもの、想定外扱いでしょ
だから俺は改憲派なんだけどさ