割と真面目な話、病まないことが創作を続ける唯一の条件だから(社会的・金銭的な問題などはあくまで解決可能な二次的な条件でしかない)、すべての創作者は自分を大切にしてほしいです…世の中のものって大概交換可能だけど、自分だけは交換が不可能な使い切りなので…
ツイートに対するネットの反応
この話は引用元の言う通りだと思う。気持ちが病む荒むのは社会、環境のせいでもあることが非常に多いけど、往々にしてエキセントリックな人が多い創作者は、まず自分の機嫌をうまく取ることはとても重要だと思う。自分もものすごく身に覚えがあるから
本当にその通りで、昨年の自分がまさにそれで二度とああはなりたくないという恐怖で今生きている。これが難しいのは、誰も病みたくて病むわけではなく、殆どが気づいたら病んでいるということ。どう防ぐのか?がシンプルだけど大きな壁だなぁと。ある日突然訪れる不可抗力とか。
創作って病むとできなくなるけど、一般的な健常でもできなくて、その間の自分にとってちょうどいいところが一番創作が捗ると思ってます。エヴァとシンクロしすぎると飲まれるけど、シンクロ率低すぎても動かせないのと一緒ですかね…
ああ…これ本当にそうなんだな…だからいつまでも毒マロを引きずってしまっているんだ…漸く理解できた。『すべての現象は不可逆』仰るとおりだ…。本当に創作者の方々、皆様病まないで…。あと創作者に毒マロ送る奴は万死に値する。
病んだ方がいいものが作れるという説は、ドン底まで落ちて病んでいないほどよい状態なのだ。ドン底にいくと創作自体できないし経済面だけでなく日常生活レベルで自立出来ないのだ。
創作するのは、自分自身が資本だからね。
その資本が悪い状態になっちゃうと、そこから出来るものもまた悪くなっちゃう。
その悪いものが独特の魅力を持たせて評価される事はあるかもしれないけど、それが続けば何も無くなってしまうやろし。
何事もそうだけど、自分を大事にしつつ定期的に無茶をする
創作モチベーションの維持は自作を手に取り愛してくれるオーディエンスあってこそだと思うが、オーディエンスが手に取る作品が《交換可能》という辺りが、作家が病んでしまう理由の一つと考えると如何ともし難いものがある。突き詰めれば、健康のために創作をやめるというジレンマすら生み出すから。
生活の色んなことに考えを巡らせることが多くなってから、細々と書いてたものたちが死んでいった。
過去に書いていたものを読んだ時、自分が当時こんなものを書けたのか、と逆に新鮮な気持ちになる。
当時は読んでる量も多かった。
拙者は創作者で無く単純労働者ですが、同じ思いです。一言で言えば「身体が資本」と言う奴。若い人は自己犠牲的に身体に無理して働きますが、健康に悪いからやめた方が良いと忠告してます。まあ、聞いては貰えませんけどね。
病まなかったけど年々重くなるセーリで偉い目にあったな。異変を感じて何年も通院したにも関わらずだよ。生理とか痔とか“命に関わらない”ジャンルは軽んじられているよね?実際は大多数のひとのパフォーマンスを下げているように思うんだけどな。
うーん…病んでる作家さん、描き手さん多いけどなぁ~それでも私含めてお薬飲んで頑張ってるょ
つまりは病んでても良いと思うん。病まない方が難しい😅
病むとマジで創作全くできなくなりますよねぇ…一応薬とか終わっても、たまに気紛れで盛り上がることもなくはないけど以前の意欲はほぼ還ってこないし…心身共に健康でいられるならそれに越したことはないですな…_(¦3」 ∠)_
これ系の話聞く度に思うことは
自分の変えは効かないけど
自分の上位互換又は下位互換は存在するからなんの問題もないよねってところ
じゃなかったら世界は崩壊しているとすら考える。
交換可能なら交換不可能だし、不可能なら可能。私なんてものは絶対に代替可能だが、つまり代替不可能。初めから終わりまで病んだ創作もあり、アールブリュットなんてものは実際正常者からは想像も理解もできない創作物。全く意味のないものだからこそ最も意味を持ち、死後そうなる事もまた偏在する
生みの苦労は半端ない、ましてそれを続けるのはとんでもない精神力がないともたない。
だからこそペースはなんであれ無理のないよう作っていって欲しい、無理して潰れて何も作れなくなったら見れなくなる
そのためにもクリエイターの周りにいる時は作品を誉め讃えるようにして、要望も簡単な領域でする
逆に言えば。
他者や社会にとっては自分も交換可能なその他大勢の一人でしかない。
だからこそ、その価値を高めるための努力に意味があるんだけどね。
そうなんですよね。私(主観で)けっこうエグい人や事象に当たってきたので、創作続けることだけ考えて病まないようアンテナを下げて生きてる。視野の狭さに向き合って、そこに感性のレンジを合わせて狭める感じ。幸せそうとか鈍感に見えると思うけど、痛みを伴ってコントロールを身に着けた。