ルックバックの修正、「絵画から自分を罵倒する声が聞こえた」という表現には創作を志し、挫折した人間特有の捻じれたコンプレックスを感じ、印象的だっただけに一気にチープになってしまった感覚がある
ツイートに対するネットの反応
修正前の方が断然良かったな…。不適切?なんで?
ルックバック – 藤本タツキ | 少年ジャンプ+ https://t.co/DhIsPLWTwU
犯人の動機が作品を盗られたという勘違いだった方が、その気持ちに共感できなくもないからこそ湧く怒りがあり、その怒りに対するアンチテーゼとしての作品だった(と理解している)ので、大元の犯人の動機への共感が弱まると全体が弱まる。改変前を知ってしまってるからというのもあるけど。
正直な話、フィクションで男の人とか関西人ばっかり犯人にされたとしても、自分たちが人を殺す存在と思われてるとは普通、解釈しないけどなぁ
一番気にしてて、フィクションと分別ついてないの本人達やと思うわ
大多数が漫画の表現を現実に持ち込むほど頭の悪くはないやろ
これ多少でも創作に限らず「自分が自信を持っていたもので、もっと上手い(強い)人がいてプライドが傷つけられた経験」がある人なら修正前の意味を理解できるはずだけど、なーんも考えず自信満々で生きてこれた人にはわからん感覚よね。
そして「作品から差別してくる声が聴こえた」という皮肉。
不適切って意味わからんよなあ。しかも「誰でもよかった」と「自分を罵倒する声が聞こえた」って理由が大きく違うからなんかなあ。俺は左の方が人間の精神によりリアルで好きだけど。
集英社さん、僕のヒーローアカデミアのときもそうだけど、作家さんをもっと守ってほしい。編集者がOKだして世に出したんでしょ…。責任取らない責任者じゃん…。
そんなことしたら作品として死んでしまうよ
この漫画から自分を罵倒する声でも聞こえたっていうのか?
だから表現を変えろって抗議でもしたのか?
ふざけてるってそんなの
人殺しならぬ作品殺しだわ
重罪も重罪よ
フィクションはフィクションだ
それをそうと知って楽しむものだと思うぜ
京アニ事件→秋葉原事件
どちらにも背景がある。
自分に刺さる表現以外はチープってのは何か変かなぁ。
僕は件のマンガ自体に面白さを感じなかったから、この変更を受けても一行目以外の感想が無い。
並べるとよくわかる…
実際の事件を下敷きにしており特定の人物を意図し事件への強い憤りを作品にこめたが特定の疾患を差別する意図は全くないし編集部内でも同様に判断したと説明すればよかったのでは…
指摘をうけて作家さんが変更の判断したなら仕方ないけど
(まだこの話題をちゃんと見てないので仕事帰りにちゃんと調べるけど、所感として)
誰しも問題提起や作品を非難する権利はあるけど、この作品は犯人がその病気だって描写があったんだろうか?
修正した部分がそれっぽい表現ってだけで非難されて結果修正になったのならやり過ぎに感じるけど
クレーマーのせいで作品の本質が変わってしまった感じですな…
ほんと声だけデカい厄介クレーマーのせいで作品の内容を変えられるのはおかしいよ…
チェンソーマンの作者って芸工大山形の出身だったのか。
こういう表現が修正されるのは時代の流れなのかわからないが、途端に安っぽくなるのは何故だろう。
コンプレックスを拗らせた描写として必要なシーンだったと思うのだが。