さくらももこ先生、嫌われ者だった祖父の葬式を面白おかしく描いたエッセイに批難殺到した際、謝った上で「家族だからといって自動的に愛情が発生するわけではないと思う」と返してらしたな。それを読んだ当時の私は、その言葉に救われた気がしました。ご冥福をお祈りします。
ツイートに対するネットの反応
RT @ShinyaMatsuura: 家族は親しいがゆえに、愛情も憎しみも濃くなる。子どもをもっとも愛するのは親だし、児童虐待が一番多いのも親である。この当たり前で簡単なことが理解できない者が「家族の絆」とか言いたがるのである。
家族だからこそ許せない気持ちとかわからん人にはわからんのですよ
「親を悪くいうな」という他人や親戚からの無責任な謎の押し付けはほんと撲滅したい 撲滅していきたい
おじいちゃんのお葬式は、笑いが止まらなかったエピソードのひとつです。お葬式で笑ったりふざけてはいけない、という一般論による批判であって、嫌な事もありながら一緒に過ごして来たからこそ書ける、愛あふれたエピソードだと私は思います。
小さい頃ちびまる子ちゃん見てて
世の中にはこんなに優しいおじいちゃんがいるのか…マジかよ…作者さんはこんな恵まれた環境だったんだな…
って驚愕した記憶。
でも大きくなってからそれが違ったと知ってまた驚いた。
俺もクソ親父の葬式でみんなが「お父さんはとても優しかったよ」ってテンプレトークしてくるの腹の中で笑ってたな。
んじゃなんで俺の左耳は半分以上きこえないんだって。
その通りだな。家族だから親だから自動的に愛情が発生するわけではない。
まるちゃんのおじいちゃん、漫画みたいな良い人じゃなかったらしいよね。こんなおじいちゃんだったらいいなって願望で描いてたってエッセイに書いてあった。
他人なら会わなければ済む話じゃが、家族故に逃れられず辛い事も多々あり、それは他人には分からない事。
これは、人の生き死だけ問題では無く、形は違えど、日常の様々な所でも発生する。何時だって部外者は勝手なものだ。
これよく覚えてる、わたしが母や姉やヒロシを好きなのは母や姉や父だからではなくてその人そのものが好きだからなんだって書いてあって、そうだそうだそうなんだと思ったの覚えてる。
私も祖母には個人的に可愛がってもらったので祖母個人に恨みはないが、祖母のやってることはあまりに酷すぎると十代当時から思っていたので、友蔵さんのエッセイと批判に対する反論には大変救われました。ちなみに祖母の葬式には家族しか来なかった。
孫が長期入院しても見舞いに一度も来ず長男の嫁である母をいじり倒したお嬢育ちの父方祖母が、母が突然亡くなると棺桶に謝り続けていた。謝るならもっと早くに謝ってろよという怒りしか沸かなかった。