「いいものは売れる」は矜持として掲げておくべき言葉ですが、それが「売れるものがいいもの」となり、さらに「売れないものはダメなもの」に変質するのは、ものの価値を他人の基準に委ねきって、自分の心を見失っています。
ツイートに対するネットの反応
神庭圭佑@本業は科学者&趣味でグルメブロガー他 (Keisuke Kamba, Ph. D.)@KambaKeisuke
いいものでなくても売れてしまう、と言うか売り方のうまさで、よりいいものを作れる人らが負けてしまうことは多くの場で現実にあります。有名か無名かだけで力量が測れないのも一緒。バカ(学歴ではない)ほど踊らされる。うわべの数字ではなく、目利きして真実を読み解くことが求められる局面は多い。
一編集者じゃなくて、経営者だとそれだけじゃね。よくても売れない本だけでは会社は潰れます、社員と家族の生活に責任があります。連鎖倒産もあります。綺麗事で会社を潰す経営者は屑中の屑です。
三浦大知くんも売れてから評価されたけど、売れる前から彼の価値は変わってないはず。世間からの評価で良し悪しを決めるのではなく、自分が価値を感じたものを愛し続けたほうが、人生が豊かになると思う。
どれだけ良い作品でも、お客さんに届かなければ存在してないのと一緒。
きっと良くても売れないものはお客さんに届けるまでの導線を上手くデザイン出来てないだけ。
これを考えたらきりがない。 良いと思って売らない場合や悪いと思って売る場合すらある。 善悪と売買についての分別をどうするか...。 モノと価値の関係に置き換えて考えるとこの枠の中に書ききれない。
「君の名は」は確かに売れて実績を残したが、自分は「言の葉の庭」もお気に入り。確かに「君の名は」ほど売れなかったかもしれないが、あれほど美しい梅雨を描いたアニメを僕は知らない。
「え~年収○千万~♪」「○百万の腕時計、素敵~♪」「○億円の豪邸に住む若き実業家」…セレブ(と称される金持ち)を持ち上げるテレビ番組も然り。
その人がどんな仕事で稼ぎ、人々にどれだけ愛され信頼されてるかまでは検証されない場合が多い。
判断基準が金額って恥ずかしくないのかな?
売れないものを良いものだと言うのがただの「サブカル系」って言われる所以の一つです。
感性、センス、人そそれぞれ自由だから、 https://t.co/wdDoYI8kPc
相対的価値基準と個別的価値基準には差がある。目の前に居る人間が、相対的価値基準と個別的価値基準のどちらで判断しているのか、区別はつかない。相対的価値基準に個別的価値基準が依存しているのだから、個別的価値基準が大切というのは分かるが、物の売れなさが、平等に訪れる可能性もある。
難しい問題ですよね。
例えば、スポーツカーの代名詞のポルシェは、マニア向けのハードな空冷911が主力だった為に90年代まで何度も倒産や買収の危機に瀕しましたから。
96年以降の広くて快適な車作りへの本格的な転換や、SUVのカイエンなどの導入が無ければ、今の莫大な利益は絶対無かった訳ですし。 https://t.co/9hBOKiEefq
いいもの→売れる
が真だったら逆の
売れる→いいもの
が真とは限らないけど、対偶の
売れない→いいものではない
は真になるのでは?
…実際は流行りとか宣伝とかの問題があるんだろうけど。
【自分がいいと思ったものを買った】ことに対して「ありえない」とか『変人』みたいなレッテルを貼るようになるので、人間社会で生きる時に「失敗をして、周りから目立ちたくないが便利な良いものを享受したい」となり、「売れているものが良いと信じるしかない」というところにたどり着いて思考は放棄
全くその通り。ただ、「あからさまに質の悪いもの」ですら「個性だからよい」などといってしまう昨今の風潮も如何なものかと思うから、惑わされないように一流のものに触れていきたい。
「いいものは売れる」が真である場合、「売れるものがいいもの」は真とは限らないが、「売れないものはダメなもの(いいものではない)」は対偶となって真になってしまう…と考えた数学クラスタは手を挙げなさい。おやつ抜きです。
しょうた⭐️Excel改造で業務効率化と残業撲滅を進める経理マン@shota_Excellent
いいものなら売れる
は、矜持レベルなら持っておいて良いでしょうが、現実に持ち込んで通用しきるとは思わない方が良いのも確か。 https://t.co/Y8TFUKZN5y
広告宣伝で十分な周知がなされた前提の売り物なら「売れないものはダメなもの」で合ってると思うけどなぁ。
自分だけ「いいもの」と思ってるのは自由だし、自己満足だけして売らなくても良い。
ただ、売ってる以上は買い手の需要に合わせるべきで、それが良し悪しの判断基準になって然るべきでしょう。
「いいものは売れる」は、「努力は報われる」と同じ構造のスローガン。報われないのは努力不足だ!と転化する。それにこのスローガンを掲げていいのは当事者だけなのに、無関係な連中がこのスローガンを使ってバッシングする。
そうですね。世間で売れてるからと言って自分に合うかどうかは別のはなし。口コミやレビューはそれを試すきっかけ程度かな。それを糸口に別のコトやモノを引き寄せるのが楽しいかも。
中身がアレでも表紙買いジャケ買いてのもあるからねぇ。デビュー以降、出版景気が右肩下がりのここ20年自分の基準と他者(市場)の基準にとかく翻弄される流浪気味の漫画家でござるよ。
売れるものは「売る努力をしたもの」であって、いいものは、「誰かが売る努力をしてくれる可能性が高いもの」でしかない、ってのが10年書店で働いて得た感想
言い換えると、クリエイターや創作活動者が次第に営業、経営的な思想に染まっていく事を意味するのよ。だからといって後者が悪いというワケではないと思うし、お金というものが持つ機能の一つ「価値基準の統一」という意味に沿うという意味では間違いでもないと思う。どっちがいい悪いじゃなくてね。