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ソクラテス「君はバナナを知ってるんだね、説明してよ」
上級国民「黄色くて甘い果実だよ」
ソ「果実ってなんだい?」
上「は?」
ソ「あと黄色ってなんだい?」
上「は?」
ソ「君は結局バナナを知ってるつもりなだけで知らないんだね。バナナが知らないことを知ってる僕のほうが偉いね。」
ツイートに対するネットの反応
事物を言語に移し替えた時に、本来持つ意味合いの大半を落としてしまう。
言い換えるなら、人に何かを伝えると言う事は、氷山の一角から氷の欠片を取って手渡すという事
対象を言葉にした時点で認識した事になり、本来あるその物の形から大きく逸脱してしまう
誰かがそれを見る時、人によって見る角度
日本人「ここにリンゴが5玉とバナナが3本ある。分けることができるかな?」
日本人「分けることができる。それが《分かっている》ということなんだ」
ソクラテスは質問を繰り返すことで相手の知識の真偽を相手自身に確かめさせることで自身の無知を自覚させて、知への探求心を呼び起こさせるために問答をしたのであって
ソクラテスが「知らないことを知っている私の方が偉い」とマウントをとるためにやったわけじゃないのに…
果実とは植物が生命をつなぐために編み出した方法のうちの一つで、種子を守り、運ぶためのもの。ただし、市販のバナナにタネはない。三倍体であるから減数分裂がうまくいかず、種子の成長がうまくいかないのだ。
黄色とは脳が判断する視覚的なもので、色の種類の名前である。
バナナ、レモンの色。
コメ欄見てわかるように日本の教育ではソクラテスの問答法について何も教えられていない。
ソクラテスがただのいちゃもんおじさんみたいになってるの悲しい。
アリストクラット「そうではない。我々がバナナの定義を決めるのだ。それが『真実のバナナ』と実態が違っていようと何の問題もない。……ところで、ソクラテスくん。君は無罪とはどういう定義だととらえているかね?」
こうやって次々と『(自称) 知識人』を論破?!して数多の敵を作った挙げ句、
(「我が生涯に一片の悔い無し!!!」と叫んだかどうかは知らないが)嬉々として『人民裁判』判決の服毒死を受け入れた(らしい)ソクラテス氏(享年70?)は、
“馬鹿と天才は紙一重” を見事に体現した 偉 大 な 漢[主観]。
これはネタになってるけど、今のご時世でこの「問答法」って本当に重要なものなんだよね。
今の子達は怒ったらやる気を無くして逆に何もやらなくなるのがオチだから、「なんでやらないの?」「どうしたらいいの?」って聞いて徐々に核心に迫る方が相手も納得して「じゃぁこれをやらなきゃ」ってなる。