最近読んだ心理学の本で印象的だったのが、人間には幸せを受け入れる準備のない人がいる、って話。そういう人を幸せにしようと周囲がどんなに頑張っても、その人は、お膳立てされた環境を破壊してしまう。要するに自己肯定感がないと、不幸を追求する生き方をしてしまう、ってこと。
ツイートに対するネットの反応
一旦リツイートしたのだけど
”本のタイトルと著者を教えて”という複数のツイにコメ主の返信がないためリツイは消しこの引用リツイとしました。
原典の開示は一番大事だと思う。
器が無ければ水を注げません。
まだ経験も何も無かった頃は何とか出来ないものかと悩みもしました。でも…最近は仮に転がり堕ちる事が目に見えていても本人が変化を望まないのなら、ただ見守る事も必要なのかなと考える様にしています。本当にとても虚しい事ですが。
派遣のハケ子@あなたの隣の派遣社員@hakennohakeko
突き放すのも、こうして分析するのも簡単だし…高みから当人の責任だと束ねるのも簡単だよね。そこに至るまでにどれだけの茨をくぐってきたか…そこに想像が及ぶ人がどれだけいるだろう。
お膳立てのお膳に何をのせられても何がのっていてもありがたいと口に運ばねば叩かれるのに。分断の一端がここに
自己肯定感が無いどころか否定的なので、良いことに分類されることがあるといつ殺されるのか不安になります。悪いことに分類されることがあると安心して自傷行為的にそれを受け入れます。表面的には「普通の反応」をするように心がけますが、いつもずれているようです。人と関わらないのが一番の幸せ。
この問題は根深いと思います。愛着障害や不適切な養育環境で育った子どもが、等身大の自分を肯定されなかった結果、不幸になる選択しか知らない、できない状況もあるかもしれませんね。彼らが信頼できる他者を受け入れるには、認知の変化の促したり、待ったりなど時間がかかるのではと思います。
「幸せになりたいけどなれない自分って可愛そう」って思うことに、自分の存在を感じている人に多い気がする。
実際には幸せになることを望んでいないんですよねきっと😅
じゃあ、自己肯定感ってどうするの?ってなる。これは自分で自分を親のように育て直していくしかない。
もしくは信頼できるカウンセラーに頼るか。
同時に認知行動療法で、認知の歪みをなおしていく。
すぐには変わらない。じっくり数年かけて。
ちょっと違うかもしれないけど幸せが続いた後ってこんなに幸せにが続いていいわけがない悪いことが起きると思い込んで、幸せになるの躊躇うこと多い、
あったなー。藁のベッドに慣れていると、ふかふかの布団では寝れないみたいな。わざと失敗していつものように怒られて安心したり、この幸せは本物(永遠)かって、わざと酷いことをして相手を試したり。
受け入れられるようになったのは、無くしてもまた別の幸せがやってくると分かってからかな。
自分が完全にそうだとは思わないけど、人から思わぬところで優しくされたり気にかけられると「見下しやがって」「馬鹿にしやがって」と感じることはある。劣等感バリバリのくせに身の丈に合わない自尊心があるんだよなあ。
幸せになることに慣れていない人が、
「こんなに幸せなのはおかしい。
何か悪いことが起こる(バチが当たる)はずだ!」
思考は昔から確かにある。
DV彼氏ばかり選んでしまう人とかは「不幸である自分が好き」な傾向もあるからなかなか難しいのよね(´・ω・`)
心の中の幸せを入れる箱に穴が空いている、というやつ
昨日教えてもらったブルーハーツの言葉を借りるなら、「幸せ」を手に入れるのでなく「幸せを感じることのできる心」を手に入れるのだと。