母校の芸大は入試に面接があり『嫌いな作品』を聞かれて不思議だったんだけど、あとから教授に聞いたら、何かを嫌いな理由にこそ本人の個性があり「こうありたくない」という強烈な動機が才能を際立たせると言われた。好きと同じ分、嫌いな領域を持つべき。
ツイートに対するネットの反応
Tomoya Matsuura 松浦知也@tomoya_nonymous
現代美術の授業で「今開催されてる展示の中でいちばん行きたくないものに行ってレビューを書いてください」てのやったなあ、嫌いな理由の客観視もそうだし、好き嫌いと良い悪いを分けて考えられるようになるのも意外と訓練しないとできない
嫌いになることを悪とする日本の風潮は生きにくいよね。それをわざわざ口にしなくてもいいけれど、嫌いという感情を抱えていてもいいと思うんだよ。自分の気持ちをジャッジしたり、気持ちをごまかしたりするのは自分に対しての虐待だよね。
NITTA, katsuyoshi(新田 勝貴)@read_me
これ全部同じことを言ってると思う。行動の理由には確実に不快からの逃避がある。創造はポジティブな動機とは限らない。つまらないのがイヤだから絵を描いて、音を鳴らして、漫才をやるというのはあり得る(その方が多数派とも思う) https://t.co/hPS2796OTJ
ほら!あんまり大勢の人の前では言わないけど私があれ嫌い、これ嫌い、っていうのにもちゃんと意味があるんだよ
今1番嫌いなのはオロナインのCM
芸大って面接あるんだ。先端芸術学科とかなのかな?芸大の受験は油画の国技館の一人一マスというの。今もなのかな?私が受験生だったの20年も前だからな。
デザイン系は美大と芸大は違う受験スタイルすぎて記念受験すらしなかった。
クロネコ屋さん(@NINJAkusokuso )もさっき言ってたけど、嫌いなものもその人の個性になるんよな。
それをどう活かしていくかが難しいなと思っちゃうから、まだまだ学びが足りないでござる😌
嫌いなものの方がハッキリしてるタイプで(好きは漠然としてたり言葉をめちゃめちゃ重ねないと気持ちが出しきれなかったりする)それを笑われることもあるんだけど、捨てないようにしよ
とてもわかる。私は物語の好き嫌いが極めて強いのだけど、嫌いな物語に出会うと自分の能力最大限に開放されて「書き直し」に没頭する何物にも変えられないエネルギーをもらうし、その書き直しと元ネタとの相違点にクッキリ「我とは何ぞや」が出る。