一応終わったから書いておくが…
「実は正体が明智光秀」という俗説のある南光坊天海(慈眼大師)は、僧侶でありながら甲冑が残っていて、なんとその兜は「麒麟前立付兜」。名の通り、兜の前立に麒麟がいる。
今回、#麒麟がくる の最後が生存ルートで描かれたのは、これを強烈に意識してのことだろう。
ツイートに対するネットの反応
ゆるまよ🐌リハビリ中(ハンドメイドぼちぼち)@yuruyuru_mayo
そうかぁー兜のことまで知っていたら伏線に気づけたかも知れないんだ…。やっぱり知識が多い人ほど人生楽しみが増えると思えるのはこういうところでも感じるなぁ。日本史の勉強嫌いだったけど興味持てれば一気に面白くなるんだよなー。
やっぱこの辺のことは解き明かされて欲しいのと、解き明かして欲しくない感情がせめぎあう💦
分からないほうがロマンがあるし…かといって真実も気になるっていうか
麒麟の元ネタ😍
麒麟様より腰に付けたポーチがすっごい気になりました
ツールドフランスでジャムパンやパワーバーや水等
補給食が入ったバッグ(サコッシュ)受け取りって
あるんですけど 戦でも補給食を腰につけてたのかしら
関ヶ原も西軍が一晩中マラソンして
ハンガーノックが敗因らしいし https://t.co/jAfCCDyenK
私は基本、こうゆう説を信じたい人だ。
信長も光秀も義経も違う道で生を謳歌してたんだとしたら、それこそ、これだから、歴史は面白い!( *´艸)
って思うだろうから。
歴史っていろんな想像出来るから面白いよね。
日光東照宮にも頻繁に桔梗があるし。
過去にいけば正解がわかるだろうけど現代においては正解がないのが歴史w
孔子の「獲麟」のエピソードも絡んでいる気もしますけどね。『春秋で魯の歴史をまとめている時、太平の世に現れるという聖獣「麒麟」を捕まえた人々が、その神聖なはずの姿を不気味だとして恐れをなした事に対して、孔子は自分が今までやってきた事の無力さを感じ、筆を折った、という』
主君の寝首をかいてわずかばかりの天下をかすめ取った男、という従来の人物像を捨て、誰もが夢みる理想(麒麟)に殉じた男、として描いた大河ドラマはとても面白かった。落武者から天下人までを経験し、寺子屋の子供から天皇までに接し、戦国のあらゆる場面を目撃した、これまでにない主人公像だった。
これは素敵な話を聞いた!
毎週日曜日楽しみにしてたんだよね。昨日もここからどんな終演?と思ってドキドキしてた。
私が歴史として知っていた(諸説あるが一般的な)終わり方ではなかったので(気を揉んでいた)ホッとしたし、じわじわ沁みてきた。
天海僧正、慈眼大師ともいうのですか。知らなかった。京都市右京区の京北にある、明智光秀の黒塗坐像がある寺も慈眼寺という。関連を想像しないわけにはいかない。
清水たらふく情報選民の自覚で解報を力無き者は知性によってのみ力を得る@PZuLFjQYOybIdQl
#麒麟がくる
のタイトルは生存ルート
「実は正体が明智光秀」という俗説のある南光坊天海(慈眼大師)
僧侶でありながら甲冑が残っていて、その兜は「麒麟前立付兜」
名の通り、兜の前面に立っている麒麟から
なるほどです
へぇ、面白い。「歴史」とされるもののどこまでが真実かは永遠の謎。残された記録はできる限り検証しているだろうけれど、その記録は勝者が残したものだろうし。都合のいい「歴史」を残そうという意図も働いただろうし。色々と想像力を掻き立てられる。。。