太宰治の死の真相に迫るというNHKの番組を見ていたのだけれど、又吉が最後に言った「僕らお笑い芸人は辛いこともハプニングに巻き込まれたことも笑いに変えてしまうけど、最初はそれでいいけどいつの間にか順番が逆になってしまうことがある。ハプニングに巻き込まれそうなとき自ら飛びこんでしまう
ツイートに対するネットの反応
それが作家というものなのかもね。
何もないよりは何かないとネタにならない。人間失格読んだらよくわかる。
ハプニングに飛び込んだその時、とても大変だけれど、どこか幸せを感じている時がナガスにもあるし、それが財産になった経験があれば、尚更飛び込んでしまう。
そういえば、今日の千之助を見ていて、昨日見かけたこの話をなんとなく思い出したな。「笑い取れたら何でもええんですか?」という一平の問いは、突き詰めて行くとこういう事でもあるんだと思う。
#おちょやん
この流れって
昨今でいうと
自分の悲惨な境遇、苦境をSNS等で発信
→面白がる人が集まってしまう
→「イイネ」とかがついて
→ウケるんだ!
→もっと!
ってなるムーブに似てるなぁって前から思ってたけど、又吉さんがめちゃくちゃ上手く言語化している
数日前にBSつけたら太宰が…と言って「私の推しの太宰啓介が!?」と勘違いした番組、これの事だったのか
そういえば太宰治の「太宰」は騎手・太宰啓介のお爺ちゃんのお兄さんが由来と太宰啓介本人が言ってたらしいけどそろそろ決着をつけて欲しい
単に発達障害でメンヘラで破綻的な人だっただけでしょ。そんな人Twitterにごまんと居てフォロワーが万単位でいるから今も昔も他人の破綻話は人気コンテンツなんだと思う。当時はそれを小説に書くってのが新しかった
それは間違いなく破滅的なのだけれど、
でも破滅を歩む事まで含めて美学を感じるのも分かるんですよね。
きっと「人生を尊ぶべき人間」としては失格なのだろうけど、でもその衝動に呑まれた生き方は、単に反面教師として扱うだけで済ませて良いものだろうか? とも思う。
順序が逆になる、とてもよくわかる。
死を追求するあまり、死に飛び込み、死にのみ込まれてしまったんだろうなあ。
モノカキはじめクリエイターは特に実感として身に覚えがあるんじゃないだろうか。
撮れ高とかオイシイって発想と同じ感じでって事か。
メンヘラ解釈が個人的にしっくりきてたけど、この考えも合うし、そーなると再生数稼ぎに自殺とか自傷がエスカレートする配信者も出て来そうだな。
エロ方面はかなり前から結構いるって聞くけど。
この番組とても観たいのだけど再放送やらないかしら。
(この本末転倒は自分というものでおまんまを食うクリエイターにもよくあるので気を付けたい)
太宰じゃないけど、芥川の「ただなんとなくの不安」で自殺したことをたまにふと考える。
そう、なんか不安って明確な不安じゃなくてただなんとなく未来が見えなくて不安なこと多いよね…、と思う時がある。
ま、私は自殺したいと思ったこと一度もありません。
嫌な自分も好きになれる!「美濃のエーデルワイス」@c2f8fBp3WoNe8kg
一生懸命に働くってどんなことだろうと考えさせられました
人生は小説より奇なり
というけど、
小説という仕事に飲み込まれてしまったとするなら···
何故生きているのだろうと考えさせられました
(以前古井由吉の小説解説ピース又吉またきちとよんでしまったことも思い出した😅)