伏線を貼るのはうまいけど回収ぐだぐたになるタイプの作家さんも多くいるけど、最近「広げた風呂敷を畳んでないけど模様がきれい」という言葉を覚えてから、なんかあんまり気にならなくなった……(気にしろ)
ツイートに対するネットの反応
MEGANETH(メガネス)@na_ka_no_megane
一応は畳んであった風呂敷を20年以上経ってから綺麗に畳み直しつつ、もっと大きな風呂敷を広げてみんなを興奮させてくれたのが、現在のゆでたまご先生。柄も素敵です。
個人的に浦沢直樹が伏線貼る能力が高すぎて回収しきれてないと思ってるんだけど、回収能力が決して低いわけではなく思わせぶりに伏線張る能力が恐ろしく高すぎるだけと思ってる
かいママ(目が眠い羊)@3y👦&0m👶✨@kaichan_mama_
最後の方で伏線を一気に綺麗に回収して感動する作品もあれば
敢えて謎を残して伸び代や余韻をファンが楽しむ作品もあり
え?と思っても「まあ絵が綺麗だからそれだけでもいいや」な作品もあり(※ものによる)
風呂敷を広げたまま畳もうとしない、冨樫義博先生。
風呂敷を畳む前に亡くなりそうな岩明均先生。
風呂敷を畳んでくれるけど畳み方が雑な浦沢直樹先生。
風呂敷を畳んでないのに別の風呂敷を敷き始めるCLAMP先生。
みんな模様は綺麗なんだけど…
最近の (アプリとも提携してるような) アニメって〆切か他の何かに “追われている” 感じがあるというかなんというか···
世界を広げているモノが少なくなっている印象(偏見)
(→本数に気が行っている可能性も···?)
伏線を広げ過ぎて回収しきれず、ぐだぐだ迷走しまくってる作品(好きな人もいると思うから敢えてタイトルは伏せる)、途中で読むのやめたりしたのある( ノД`)…
そっか、そういう考え方もあるのか(*´-`)
正直、落語なんてオチがそんなにドッカン!と来るものばかりじゃなくて、そこは割とアッサリしてるし、今までの長い伏線なんだったん?ってのもあるけど、そこに行くまでの話術を楽しむものだから、そんな気持ちで良いのでは、と思うw
具体的なタイトルは挙げないけれど某作品の功罪としては『張った伏線回収しなくてもそれが商品、ビジネスとして成り立つという事を証明してしまった』事なのだろうなぁ、と。
古い考え方なのかもしれんけど物語の受け手、読み手としては伏線はきちんと回収してほしいのよ…
uutan@「魔王さま本舗」マンガたくさん描いてます!@uutan_go
すごいよくわかる。
きれいで興味深い風呂敷は畳まなくても風呂敷自体の魅力で語り合えたりできますから。(そしてぐたぐたでも回収ありがとう ぺこりといいたくなる)
わたしダメっすねー。終わり悪けりゃ全部低評価しちゃう。
風呂敷の柄も楽しむけどさ…。なんだろな、小説で育ったから物語がある程度着地すんのが当たり前なのかも。
閉じた風呂敷が美しい作家がリプライされてて確かに~ってなった。
書いてないとこだと田村由美も上手い。
私はちょっぴり違う考えで、畳んだら初めて模様が見えるのが伏線だと思ってました……!(たぶん模様は裏にある)
でも広げた状態でも綺麗というのも、素敵な考えです✨
風呂敷広げて畳むの巧いのは以前はサンデー作家さんで藤田和日郎先生とか雷句誠先生とか、鋼錬の荒川弘先生とか、最近はジャンプでも松井優征せんせいとか…
かしら?
(最近じゃなくない?)
(単に贔屓を言ってないか)
個人的には、伏線が回収されたときに「あのときのアレって、そういう伏線だったの!?」って驚かされるのが「伏線を張るのがうまい」だと思っている。伏線が目に見えるものだったり、広げた風呂敷を畳めないというのは、また違う話だと思う。