原爆の日で思い出すの、今でも中学生の時に行った平和記念資料館のジオラマの前通りがかった時に「こんなに酷かったんだね……」って同行の友人と話してた横を「こんなもんじゃなかったよ……」ってほんの一瞬短くボソリと呟いて通り過ぎて行った老婦人の声なんだけど、私はその言葉を今も忘れられない
ツイートに対するネットの反応
ありがとうー🌈ICN/雪矢りお/Liese🧁@Canon_Liese16
日本の話じゃないけど、ポーランドにあるアウシュビッツを見にいった時、帰りに首都に向かう電車時間が3時間あるので説明を読んでいたら50代くらいのおじさんに突然怒られた。
国の観光資源が少ないから仕方ないけれど話を聞いてると自分の身内がそこで殺されたので簡単な気持ちで訪れてほしくないと。
昔、平和記念資料館に行った時石段に座ったまま焼失してしまった方の跡を見た時に突然涙が止まらなくなったんだよね…ビックリな事に一緒にいた友達も涙流してて。そういうの感じやすい2人だったから何かを伝えて来てるんかな…って話したの思い出すな。
昔は食べるものが無かった。今は有り難い時代→
くーとと(ちゅき)ωωω(:3_ヽ)_@tongari_1999
こんなもんじゃなかった…
伝えても伝えても伝えきれないことがある。
だからこそ伝えることをやめちゃダメなんだよね。
それが万分の1であっても、伝え続けることでゼロにはならないんだから。
忘れたくても忘れちゃいけない。
戦争を知らない子供たちが、いつまでも戦争を知らずにいられるように。
現在資料館のある位置で被爆して奇跡的に助かったおばあちゃんと話す機会があった。その方曰く資料館が出来た頃に行ったけどあの日を思い出して帰ってしまった。でも自分も高齢だし死ぬ前にまた来ようと思ってとリニューアル前に来られた。でも開いてないからと帰られた。あれから無事入館出来たかなぁ
実際に見ただろうそのおばあさん、消えない記憶なんでしょうね。何なら心だけじゃなく体の傷ですら治っていないかもしれない。ジオラマじゃ、わかりませんよね。実際に見ないと。体験しないと(´・ω・`)
沖縄戦の博物館に行った時に見た実際の写真は、ジオラマより覚えていますね。
子供の頃行った時は気づかなかったけど大人になれば視野も広がって分かるようになるよね
当時の匂いや熱は伝わって来ないし、展示できないような悲惨なものは見せないに決まってる
あれだけの展示でトラウマになる人もいるんだから本来の姿を見たら卒倒する人多数なんだろうなぁ
飯も食えなくなりそう
毎年平和記念で当事者から話聞いたり画像や動画みせられてきて普通にトラウマになったし「嘘松」だの何だの言う人ってほんと平和ボケしてる事認めな
筆舌に尽くしがたい、とはまさにこのことだよな…とても想像できないくらいの凄まじい、地獄のような光景だったんだろうな…
昔はこの時期もっと戦争に関する番組やってたのに、今は殆ど無い。風化していってしまうんだろう。平和なのは素晴らしいことたけど、忘れてはいけない。
私は資料館で他の都市も落とされる候補やったのだが、広島が晴れという事がはっきりし、この時広島の運命が決まった…ってナレーションがズンときた。
晴れてさえいなきゃ。
夏の黒は忘れないっていう朗読劇あって、俺最後の年に参加させてもらったことあるけど、感情を移してみるとさ、なかなか泣きそうになったんだけど、あの方々からすればそんなもんじゃないんだろうなって思う機会でもあった
私は祖母がたまたま長崎市外にいて家族は兄以外亡くなった入市被爆者ですが、
爆心地近い祖母の近所の被爆死した人が日本は戦争に負けると英語勉強してたことと、
アメリカが被害受けたマリア像とかをバツの悪さからか真っ先に隠してしまい最近やっと返した
と教えてくれたことが一番心に残ってる。
今年亡くなった私のじいちゃんも言っていました。
「こんなもんじゃなかった」と
じいちゃんは兄妹を原爆で亡くしていますが骨も残らなかったとも言っていたので私が想像も出来ないくらいくらいの地獄だったんだろうなと
まだ14歳だったじいちゃんがあの場にいたと思うと苦しくなります。
さかっき~たそ 栄天 妹加 小波推し!@gesuerooman
自分も平和記念資料館へ行った時に思ったのが「真実はもっと酷かったはずなのにそれを伝えるべく存在している場所が何故実際に起きた事を見せて伝えてくれないんだ!」でした。
残酷過ぎてトラウマになるからという意見もあるだろうけど自分は真実を知りたい!
修学旅行で行った時体験者の話を聞くコーナーがあって聞いてたんだけど、集合時間があって最後まで聞けなかったの思い出した
みんなは急げ急げって引っ張っていってくれたけど後ろ髪引かれながら走ったから後味悪くて。今度はゆっくり聞きに行こうと思って行けてないな
数十年前の何かの記事で、原爆資料館の展示について実際の被爆者の方々が「あの日について私達がいくら語っても、あのジオラマは(実際に比べて描写が)軽すぎて、とても正しくは伝わらない」と語られていたのを見たな‥
今日は広島の原爆の日
合掌
私の祖母も15歳の時に被曝。一昨年に亡くなりました。歩けるうちは毎月検査に行っていたようで、後遺症はなくとも体験を忘れることもできなかったでしょう
原爆の怒りを忘れてはいけない。米国に責任取れとはいわないけど、歴史を捻じ曲げてほしくない
今の技術なら3Dバーチャル空間を再現して、そこに原爆の情景の仮想空間を見る事が出来るかも知れないけど、そのこんなもんじゃない情景を見て、心と体が耐えられる気がしない。
10年以上前に岡山市内で電車待ち中、「広島の資料館も小綺麗になってしまって、凄まじい物は奥にしまってしまっている」と話していたご婦人たちの会話を思い出しました。
リニューアルされてからは、まだ行っていない。JICA博物館学コースでは毎年館外研修の引率で行っていて、ショックを受けて泣き出したり、「自分たちはもっと酷い目に遭っている」と嘯いたりする研修員たちをなだめるのが私の役割だった。
衝撃は記憶に深く残る。そういう衝撃も必要だと思う。
こんなもんじゃなかった。この10分の1も我々は想像することが出来ない。まずはこの自覚がなければ、戦後の表現物を、再構築することなど、夢のまた夢なのではないか。
と思いながら歌う。
当事者の方の包み隠さぬ体験談も大事なのだけど、ある程度のレベルで表現方法をマイルドにした作品も非核化運動の手助けになると思う。
英国の絵本&アニメ作品の『風が吹くとき』の真綿で首を締められるような息苦しさの怖さとかさ。
なぜあのジオラマを無くしてしまったのか……
「こわいから」と理由があったというが、それを見せるための資料館なのでは?といまでも思う
怖がらせないとわからない人もいるんだから……
爆心地すぐ近くは体が一瞬で蒸発して骨も残らず壁のシミになる。
爆風を受けた方は皮膚が爛れ落ち、水を求めて死ぬまで歩き彷徨う。その様子を象った人形があまりにも衝撃的すぎて今は撤去されている。
息子が平和記念資料館を初めて訪ねたのは10歳の時。怖くてトラウマになってしまった。が1年後広島を再訪した時「もう1度あれ見たい」と。見たら「憶えてたのより怖くなかった」とトラウマから解放されてた。以降毎年訪ねてはいろんな展示を彼なりに理解していった。あのジオラマは残してほしかったな。
大学生の時に初めて個人的に見に行ったけど、酷すぎてなんか悲しくて後半まともに見れなくて早足で通り過ぎたな…… あれでも十分酷かったけどそりゃ実際の方が酷かったよな
自分が小学生の頃はあの日が近付くと必ず平和学習と称して紙芝居や映画とか見さされたけど、その方がエグい表現のものが多かった気がする。
(眼球が溶けて下にぶら下がってる…とかそんなレベル)
大きくなって平和資料館であの人形見ても「随分マイルドな人形だな」としか思わなかったから。
話しは少しズレるけど
おばあちゃんから聞いた
【大阪大空襲】の話しを
子ども達に私がしても
『昔は大変やったんや…』で
伝えても伝わって無いんよな。
実際に体験してない私から話しても
心に残る方法ないん•́ω•̀)
なんか…伝えていきたいけど
何かが伝えきれないんだよな…💦
そういえば資料館に展示されていた被爆者の人形、資料館リニューアルで撤去する予定だったような?見直しと共に表現がマイルドになっていくのかも知れない。
自分も中学生の頃に見たけど、怖すぎて怖すぎて手で目を覆いながら早足で通り抜けてしまった
まるでお化け屋敷のアトラクションに対するような反応をしてしまったことを今でも後悔してる
「こんなもんじゃなかった」…そうだよな…そうですよね………
学生時代に広島を訪れる機会がなかったが、二十代になって呉の大和ミュージアムついでに行った。衝撃だった。天邪鬼というか穿った見方をしていた学生時代に行ってもあれほどの衝撃はなかっただろう。学生時代に行った人は改めて行くと良い。