自分達が50、60の年齢になった頃、雁屋哲が海原雄山を、板垣恵介が範馬勇次郎を、庵野秀明が碇ゲンドウを「討つべき敵」として描かなくなり、「和解すべき肉親」として描くようになった一方、同じ歳の頃に富野由悠季だけは相変わらず横っ面に右ストレート叩き込みたくなる父親を描き続けていた。
ツイートに対するネットの反応
戦後になって家父長の権力が衰弱したから、
子の側が中高年になり、憎んだ父親の老いに同情する形で和解が起こる、というのが最近のパターンだが、
戦前の人だと、若い時に郷里を出たまま、死ぬまで足を向けませんでした。という人もいる。中里介山とか内田百閒とか。
父親との確執をあまりストレートに描かなくなったのは『∀』『キンゲ』あたりからですかね。
イデオンは「自分の娘が成長したら自分との関係はこうなりそう」と想像して描いた、とかでしたっけ